生活に密着しているからこそ、多様性が必要
確かにケータイは画一的なデザインを脱して、デザインケータイやそうでなくても個性的な形や色、機能性などをかなり細かく選ぶことが出来るようになった。僕も、ストレート型で緑が優しく、現在の日本のケータイの機能をフル装備した「INFOBAR 2」が気に入って使っている(関連記事)。同時にネットに振った機能を求めて「X02NK」も持っている。
ケータイが多様化しているのは、より人々の生活に密着していることが原因であると考えられるし、そもそも人が多様性を持っているからこそ、そこに近いメディア、ガジェット、スタイルも多様化しなければ対応することができなかったのだろう。人によって反応するデザインや機能は当然違うし、それらを包むパッケージに対してもさまざまなニーズをユーザーが持っていることになる。
間もなく「iPhoneストーム」が日本にもやってくるが、あれはデザインだとかユーザーインターフェイスのスゴさではなく、プラットホームとしての存在感を打ち出すことで、多様化している趣向を持つ多くの人々の共感と必然性を感じさせることに成功しているのかもしれない。
そんな状況もあって、僕は根底にあるプラットホームの可能性、信頼性、多様な人に対する柔軟さについて、再定義する必要があると感じている。
「デザインと対極にいたい」
では、未来のケータイ、そしてケータイライフはどうなるのだろう。そのヒントをもらったエピソードを紹介したい。
先日僕の友人で眼鏡作家(がんきょうさっか)のヤマシタリョウさんと話をした(関連リンク)。日本の眼鏡の歴史に魅了されて、自ら眼鏡を作る職人にまでなった人で、自分が作る眼鏡という作品についてこう話している。
「自分は『デザイン』とは対極にいようと思っている。一人一人の顔の一部となる眼鏡は、工業生産をするためにいろいろなモノをあきらめたデザインではなく、一人一人に本当にぴったりと合うものづくりをする必要があると痛感しているからだ」(ヤマシタさん)
この話を聞いて、MOBILE in FORESTの展示を見たら、もしかしたらケータイやケータイがある生活の未来についても、もはや工業デザインだけではニーズに応えられないのでは、と思ったのだ。オートクチュールで眼鏡を作るヤマシタさんのように、ケータイも使う人に合わせてオーダーメイドができる必要があるだろう。
(次ページに続く)
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