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コンプガチャ規制についての考察 第2回

コンプガチャは怪しいビジネス手法なのだろうか? これを検討してみよう

ゲームに高額課金者が必要な理由

2012年06月21日 09時00分更新

文● 田中辰雄

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(2)コンプのビジネスモデル

 それにしても3~4万とは法外であるという意見があるかもしれない。単なるデジタルデータに過ぎないものになぜそんな金額を払うのか、と。プレイヤーは何か騙されているのではないか。このような疑問はよく出される。

 まず、ユーザはデジタルデータに対してお金を払っているのではなく、そのデータ(カード)を使ってゲーム内でできる様々の行為に対して払っていることを理解する必要がある。

 強いレアカードを持てば、強敵に勝てる。強敵に勝てることはそれだけで楽しく、友人との競い合いは楽しみでもある。また強敵に勝てれば逆に友人を助けることもできる。「ありがとう、助かりました」「どういたしまして」というのは頻繁に見かけるソーシャルゲーム内での会話である。会話が始まれば相手との交流も始まる。

 ソーシャルゲームとはこのようなプレイヤー間の交流が本質であり、そのための手段としてゲームがあり、カードがある。これらの一連の行為ができることに対してお金を払うのであり、データだけに払っているわけではない。

 JRの周遊券は周遊券という紙にお金を払っているのではなく、周遊券で利用できる交通機関とアミューズメントにお金を払っており、これと同じである。デジタルデータに過ぎないものに3~4万円払うのはおかしいという批判は、紙に過ぎない周遊券に3~4万払うのはおかしいという批判をしていることに等しい。

 3~4万を払っても惜しくないと思わせるためには、ゲームに様々な仕掛けが必要であり、そこに創意工夫と投資が必要になる。ゲーム内イベントが組まれ、タレントが投入される。多くのユーザを集めるために宣伝もしなければならない。その結果、最後にあらわれるのが3~4万という値である。

 ちなみにこのような額を出すのは全ユーザのごく一部であることにも注意しておく。9割を超えるユーザは無課金あるいは軽課金でゲームを楽しんでいる(*3)。

 また、コンプ形式のガチャを提供すればどの事業者も儲けられるわけではない。ゲームが面白くなければ誰も高い金を払ってコンプしようとはしないだろう。

 それでも、一方で無課金ユーザがいるのに3~4万払う人がいるとは何かおかしくないかという意見もあるだろう。確かに、3~4万とは他のデジタル商品に比べて異例に高い。そもそもコンプ形式のような高額課金自体が不健全なのであり、必要ではないはずだという意見も散見される。

 しかし、高値を払う高課金ユーザと無料の無課金ユーザの併存現象は、合理的に説明できる。図1a,bは、ソーシャルゲームのビジネスモデルを示すためのグラフである。縦軸はカード入手にかかる金額であり、横軸はその金額まで払ってもよいと考える人の数をあらわす。高値を払ってもよいと考える人は少数なので、曲線は右下がりとなる。この曲線は通常の需要曲線に相当する。

図1a、図1b

 料金体系がひとつだけP0円しかないときの均衡が図1aで、利用者数はX0人である。企業の売り上げはR0=P0X0となる。

 ここで重要なのはソーシャルゲームでは、利用者数が多ければ多いほど個々のユーザの便益が増えることである。このような効果はネットワーク外部性と呼ばれ、情報通信産業では頻繁に観察される。このため需要曲線はその価格だけでなく、その時点で利用しているユーザ数Xにも依存する(図ではD(P,X)と表示してある)。

 ここで料金体系を二つ用意することが可能であるとする。

 ユーザの中には高い金額を払ってもこのサービスを利用したいという人もいればそうでもない人もいる。そこで高い金額を払ってもよい人、すなわちコアユーザーにはサービス内容を良くして高い金額を課し、そこまでの用意のない人すなわちカジュアルユーザには低い金額を提示する。

 このような価格付けは製品差別化といわれる。単純化のために低いほうの金額を無料としてみよう。すると、総利用者数はX2にまで拡大する。ネットワーク外部性のために需要曲線自体が大きく右にシフトすることに注意されたい。

 その結果、コアユーザX1から徴収できる金額はP1にまで上昇する。売上はR1=P1X1となり、以前よりも増え、これでゲームの開発費・運営費を賄うことになる。

*3
課金ユーザと無課金ユーザの比率は定義あるいは測り方による。一回でも課金した経験のあるユーザ数は比較的多く、ネオマーケティング社の調査(PDF)では4割である。さらに過去の最高の月額課金額が1万円を超えるユーザが13.8%、コンプ領域に入る2万円以上が5.4%とされている。しかし、これは一度でも経験のある人の数で、毎月課金するようなユーザはこれよりずっと少ないと思われる。開発者の話では課金率を5~10%で計算するという話や(参照)、3.3%で計算するという話もある(参照)。これらを総合すると、無課金と軽課金者があわせて9割以上を占め、コンプをよくまわすような高課金者は5%にも満たないごくわずかであろう。


 図1aと図1bを比較すると、高課金ユーザと無課金ユーザに分けたことで、企業の売り上げだけでなく、消費者の利益(需要曲線の下側の面積であらわされる)も大きく増えていることがわかる。企業の利益ではなく、消費者の利益も大きく増えていることに注意されたい。これは多くの無課金ユーザがネットワーク外部性を通じて消費者の便益を高めるためである。このような2段階の価格付けは、単に一企業の利益だけではなく、社会的に見ても望ましい場合が多いのである。

 実際のプレイヤー視点からいえば次のようになる。高課金者は無課金者が大量にいるからこそゲームを楽しむことができる。話し相手や競う相手、あるいは自慢する相手が少なければ高課金者も楽しくない。一方、無課金者は、高課金者がいてゲームの開発費が回収されているからこそ無課金でゲームをプレイすることができる。

 両者は互いに補完的であり必要な存在である。ソーシャルゲームの中で無課金者と課金者がいても相互に対立が深刻化しない一つの理由は、彼らが互いを必要とすることを知っているからである(*4

 ネットワーク外部性も製品差別化も情報産業の特徴の一つであるので、同様の事例は他にも多くみられる。たとえばニコニコ動画での無料ユーザと有料ユーザの併存がその典型例である。アニメ作品のテレビでの無料視聴とBDの高値販売も似た関係にある。無料で見られ録画もできるアニメのBDに何万も払うのはおかしいと言う人はいないだろう。無料で見られるニコ動にお金を払うのは理解できないと言う人もいないだろう。

 マニア的なユーザから高い料金を徴収することはごく普通に行なわれており、それがソーシャルゲームではコンプ課金だったことになる(*5)。

 もうひとつ、高課金者と無課金者を補完的にするソーシャルゲームならではのチャネルとして「交換」も重要である。コンプのためには何度もガチャを回すため、目的のカードがそろうまでに大量の不要カードを入手することになる。そのなかには強レアほどではないにしろ、弱レアくらいの良いカードもたくさん入っている。

 そこで高課金者は余ったカードをゲーム内通貨と交換、すなわち売ることになる。ゲーム内通貨は無課金者でも様々の活動で時間さえかければ入手することができるので、無課金者は時間をかけてゲーム内通貨を貯め、それを使って、高課金者からカードを買い取る。強レアカードも売りに出ることがあるので、無課金者であっても、いつかはコンプのレアカードを入手できるかもしれないという夢を抱ける。

 一方、高課金者は不要な弱レア・強レアを売ることでゲーム内通貨を得て、ガチャの投下資金の一部を間接的に回収できる(体力回復剤といった有用なアイテムなどを、現金を使わずゲーム内通貨で買うことで、ゲームで使う現金を節約できる)。

 別の言い方をすると、これはお金(リアルでのお金)と時間の交換である。高課金者は社会人などお金はあるが時間はない人が多い。一方、無課金者は学生や主婦など時間はあるがお金がない人が多い。

 社会人はお金を使ってもよいからてっとり早く強くなりたいと考えてコンプに挑戦し、余ったカードを売りに出す。学生・主婦などは、時間はあるが出費は抑えたいので、時間をかけてゲーム内通貨を少しずつ貯め、レアカードを買う。

 これは互いに自分にとって豊富な資源(社会人はお金、学生・主婦は時間)を提供し、稀少な資源(社会人は時間、学生・主婦はお金)を得るという貿易に似た取引であり、両者ともに利益を得る。高課金者と無課金者がいながら対立が起きない理由は、両者が交換を通じて助け合い、交流するチャネルがあるからであり、両者はそれなりの調和的な状態を作り出してる。

*4
ゲーム内で高課金者と無課金者がたまに対立しそうな場面になることがある。その場合、無課金者側から「高課金者がいるから俺達無料でできるんだし」という声が漏れ、また高課金者側から「無課金者がいなくなったらつまらないだろ」という声が出てくることがある。

*5
AKBによる投票権付きのCDも似た手法であり、音楽自体は安価にあるいは無料でも聞けるにもかかわらず、投票権欲しさに何枚もCDを買うコアなファン層がおり、そこから収益をあげている。

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