市場規模3000億超・利益率40%超と言われるソーシャルゲーム業界を揺るがしたコンプガチャ騒動。慶應大学経済学部 田中辰雄准教授からの寄稿を掲載する。 今回は筆者の個人的体験談が主となっている。PCやスマホを使わないソーシャルゲームユーザーの顔を垣間見ることができて興味深い。
(1)孤立無援のソーシャルゲーム
過去2回の記事で筆者が主張したのは、コンプガチャ規制は不要であり、禁止措置によってビジネスが縮小し、消費者利益は失われる可能性があるということであった。
しかし、このようなコンプガチャを擁護する見解はネット上の言論では少数派である。ネット上のブログやオンラインメディアの報道を見ると、コンプガチャへの批判、あるいはソーシャルゲーム自体への批判的評価がほとんどであり、コンプガチャやソーシャルゲーム事業者を擁護する議論はほとんど見られない。
あるネット上の放送は、消費者庁の規制を正義の鉄槌(?)と称したほどである(*1)。普段、政府の規制を嫌い、自由な経済活動を守るべきとする論調の多いネット上の言論が、こぞって政府の規制を支持するという“珍しい”状態が生まれている。これはなぜだろうか。
*1
5月19日ニコニコ生放送『徹底討論「コンプガチャ規制は正義?それとも悪?」』のページ内には「消費者庁が『正義の鉄槌(?)』を下した。ソーシャルゲームは死ぬのか?生き残るのか?」とある。疑問符は付いていたが、議論のなかに擁護側の議論はほとんどなかった。
また、ソーシャルゲームを日本発のプラットフォームビジネスとして擁護していこうという論調も乏しい。IT産業でプラットフォームを握ることの重要性はしつこいくらい繰り返し語られてきたにも関わらずである。
マイクロソフト、インテル、シスコ、フェイスブック、iPhone、とIT産業での覇者はプラットフォームを握った企業であり、日本からもプラットフォームを提供する企業が現われることを切望する声は何度となく上がった。
そして、ソーシャルゲームを担うグリー、DeNAは世界のプラットフォームになる潜在力を持っている。他国のソーシャルゲーム企業より圧倒的に収益力・成長性が高く、すでに世界各国への展開を始めており、当人らもやる気満々である(*2)。
その企業のビジネスモデルを大きく傷つける規制について、その妥当性をじっくり検討しようという議論が見られない。普段はプラットフォームを握ることの重要性を言いながら、その意欲と潜在力を持つ企業が現れたときの、このやや“冷淡”にも思える対応はなぜであろうか。
一つの可能性は、私の前2回の議論にどこか致命的な見落としがあり、コンプガチャは捨て去るべき誤った手法だということである(その場合はぜひ見落とし点を筆者のTwitterアカウントなどでご指摘いただきたい)。
しかし、もうひとつの可能性がある。それはソーシャルゲームのユーザとネット上で活動する人たちが異質であり、両者の間に交わりがないという可能性である。言い換えれば、ソーシャルゲームへの批判は、あまりソーシャルゲームをやったことがない人たちによってなされており、それゆえ、よくいえば理解不足、悪くいえば敵意ある誤解に基づいている可能性である。
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