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愛はあふれるもの

2008年08月10日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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高校は「学習」するところ、大学は「学問」するところ


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 新学期が始まって1カ月経つころ、新たな職場、新たなクラスといった新しいコミュニティーでの活動が軌道に乗り始める。一方、自分の居場所が見い出せなかったり、人間関係にとけ込めなかったりして、新しい環境にいまひとつなじめない人もいるかもしれない。

 大学で教師をしていると、毎年そんな学生に出会う。受験に向けてまっしぐらに駆け抜け、そのゴールを過ぎて晴れて大学生となったとき、生活の目標を見失ってしまうのだ。'07年は私がカリフォルニアにいるため、残念ながら日本の学生たちと直接話すことができない。だからこうして遠い日本のキャンパスに思いをはせている。

 日本の大学で仕事をしていたころは、高校に出張講義に行ったり、オープンキャンパスで受験相談に応えたりと、大学受験を控えた高校生と接する機会も多かった。彼らの多くから発せられる疑問は、「大学は高校(まで)とどう違うのか」である。

 大学に入学して1カ月で息が切れてしまっている学生は、大学とは何をするところかを認識できていないことが多い。無理もないことだ。大学にはそういう大切なことを正面きって教えてくれる「担任の先生」なんていないのだから。そのほか大学は、ホームルームがない、時間割は自分で組む、講義の内容が専門的、出席はほとんどとらない、制服がない、校則が緩い、自由……。すべての局面で自立を求められる社会だ。

 このように高校と大学とはさまざまな相違があるが、中でも最も本質的なのは、「学習」か、「学問」かである。高校までは学習するところ、大学は学問するところなのだ。この相違は、幼稚園以来十数年間にわたって「学習」を続けてきた若者に、大きなパラダイム転換を迫る。まさに180度の方向転換だ。

 「学習」とは、「学」を「習う」こと。古今東西、人類が積み上げてきた英知の体系を、「学」として身に付けるのだ。「まねび、なれる」のが「学び、習う」ことにほかならない。学習とは、知識を獲得し技術を会得していくインプットを主体としたプロセスなのである。


(次ページに続く)

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