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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第16回

「保育園落ちた日本死ね!!!」に見るネット匿名批判の危険性

2016年03月19日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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ネットの匿名性の意義を感じているのは日本だけじゃない

 新しいテクノロジーとそこから派生する新しいメディアは、それまでの情報世界に新しいフレームやスタイルを導入し、人と物との関係、ひいては人と人との関係の在り方を変化させる。見えなかったものが見えるようになり、聞こえなかったものが聞こえるようになる。

 電信の発明により人間は遠く離れた場所の情報を瞬時に入手できるようになり、新聞や雑誌のニュースとして世界中の出来事を知り得るようになった。電話の発明により人々は好きなときに親類や友人の声を頻繁に聞くことができるようになり、コミュニケーションの質と量に圧倒的な変化が生じた。

 そしてインターネットの登場以降、私たちはどこに居住しているのかもどんな仕事をしているのかも、どんな年齢、どんな性別かもわからない人たちと言葉を交わし、ときにはソーシャルメディア経由で他人の私的な心の声すらも垣間見れる時代に生きている。

 この「匿名で声を上げられる自由」は誰かにとって有益であるか否か、必要であるか否かにかかわらず、個人の権利として尊重されなければならない。

 ならば誰かを中傷してもいいのかという手の話は良識や規範に関するまた別の問題である。

 そうした本来は位相の異なる良識や規範にまつわる議論が法律よりも強い拘束力を持って「匿名で声を上げられる自由」の封殺へとなだれ込んでくることはなによりも危惧すべきことだ。往々にして世間の風潮や論調というものは、法律などの力をはるかに超えて人の行動を抑制することがある。

 冒頭で言及した「保育園落ちた日本死ね!!!」の問題も、「これを書いたのは本当に女性なのか?」とか「こうした言葉遣いはいかがなものか?」というレベルの違う話と十把一絡げにされつつ、インターネットにおける匿名性の否定に傾斜していきかねないのではないか?

 形容詞「匿名の」を意味する英語は「Anonymous」であり、この言葉は同名の国際的なハッカー集団の過激な振る舞いによっていささか悪い印象を増幅してしまっているが、「アノニマス」のそもそもの活動理念は(その手段が妥当なものかどうかはさておき)、インターネットに規制を加えようとする権力への抗議である。

 そして、彼らが被っている奇妙なマスクは16世紀のイギリスに実在した人物で「抵抗と匿名のシンボル」となっているガイ・フォークスの人相をかたどったものだ。「インターネット、自由、匿名性」という観念はなにも日本に固有のものではないのである。

ガイ・フォークスは1605年に発覚したイングランドの「国会議事堂爆破未遂事件」のメンバーの一人。逮捕後、ガイは本名を隠してかたくなに証言を拒んだものの、拷問により自白を強要されついに死刑となる。やがてガイ・フォークスの名は「匿名と抵抗の国際的なシンボル」として認知されるようになり、彼の「八の字の口ひげと濃いあごひげ」を模したマスクが世界中のインターネット活動家たちなどによって使用されるようになった。Photo by Enrique Dans

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