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世界企業パナソニック 90年目の決断 第9回

日本企業は世界でどう戦うべきか?

パナソニックの変化に挑むパナソニック部門

2008年11月26日 12時00分更新

文● 大河原克行

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西口氏

パナソニックマーケティング本部(現デジタルAVCマーケティング本部) 西口史郎本部長

 2008年1月10日。社名変更が発表された社内向け経営方針発表の場で、国内向けAVC商品のマーケティングを担当するパナソニックマーケティング本部(現デジタルAVCマーケティング本部)の西口史郎本部長は、大坪文雄社長、中村邦夫会長の方針説明に続き、社員代表として、新年の決意表明を発表することになっていた。

 「社名変更の話を聞いたのは、まさに直前のこと。用意してきた原稿は横に置き、自分の想いを語った」――。

 社員代表で発言する立場から、社員よりはひと足早く、社名変更の決断を知ることになった西口本部長は、その時の様子を次のように語る。

 「驚いた。だが、驚きはしなかった」

 驚いたというのは率直なその場での感想だ。だが、それに続く、驚きはしなかったというのは、「いつかはこの日がくると感じていた」からだ。

 それは多くの社員に共通したものだっただろう。とくに、海外勤務経験のある社員ほど、その想いを強くしていたに違いない。

 西口本部長もそのひとりだ。

 パナソニックは、すでに2003年5月から、海外ブランドをパナソニックへ一本化。海外法人の社名も、パナソニックを冠としたものに変更してきた。

 「海外で先行したパナソニックへのブランド統一で、これが、どんなメリットがあるのかを、肌で感じていた。それだけに、社名変更、ブランド統一の決断は、素直にうれしかった」

 社名とブランドを統一することで、パナソニックが発信するあらゆるメッセージが強化され、それがブランド価値向上に直結することを知っていた西口本部長は、素直に社名変更の決断を受け入れ、その気持ちをそのまま社員代表の挨拶とした。

 パナソニックブランドは、1955年、輸出用スピーカーに初めて使用されたブランドだ。

 米国で「ナショナル」のブランドが先に商標登録されていたことで、海外向けブランドとして新たに制定したものだ。

 「松下電器が生み出す音が、世界に届いてほしい」という願いを込め、「PAN(汎く)」「SONIC(音)」をもとにした造語から生まれている。

 その後、1988年には国内向けAV商品をパナソニックブランドとし、2003年には海外のすべての商品ブランドをパナソニックへと統一した。

次ページ「ドメインを超えて」に続く

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