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世界企業パナソニック 90年目の決断 第13回

日本企業は世界でどう戦うべきか?

中国でのパナソニックの成長を下支えする中国生活研究センターとは

2008年12月24日 12時00分更新

文● 大河原克行

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 パナソニックのグローバル戦略において、重要な市場となるのが中国だ。

 今回の社名変更、ブランド統一を前に、パナソニックは、ひと足早く海外でのブランド統一に乗り出し、中国でも同様の施策が打たれた。

 それまで、中国国内には、「松下(ソンシャーと発音)」のほか、「パナソニック」、「ナショナル」、「NAiS」、「國際牌」という5つのブランドがあった。ブランドが林立し、会社名とブランドが結びつきにくい環境にあったといえる。

 これを、パナソニックのブランドに統一。さらに、広告戦略や店頭展示も、すべてパナソニックによる訴求へと一本化したのだ。

パナソニック 大月均常務取締役

パナソニック 大月均常務取締役

 「中国国内には、社名には漢字を使用するという制限があり、現在も社名は『松下』となっているが、対外的な活動ではパナソニックを前面に出し、ブランドをひとつに統一した。認知度を高めるという点でも大きな成果をあげ、売上高も着実に拡大している」と、パナソニックの大月均常務取締役は語る。

 もともと、パナソニックと中国の結びつきは深い。

 1978年、中国の最高実力者であった鄧小平氏が来日し、ブラウン管テレビを生産していた松下電器の茨木工場を訪問。そこで、創業者である松下幸之助氏と会談した鄧小平氏が、中国の製造業発展のための協力を提案した。これに対して、幸之助氏が「お手伝いしましょう」と応え、中国での合弁事業の模索を開始。79年、80年には、幸之助氏が2回に渡り訪中し、鄧小平氏と再び会談。

北京BMCC

北京BMCC

 85年には、当時の山下俊彦社長が中国各地を視察後、北京市に合弁会社設立を決断し、87年に、ブラウン管の生産拠点である北京・松下彩色顕像管有限公司(BMCC=Beijing・Matsushita Color CRT)を中国・北京に設立した。同拠点は、2007年9月に設立20周年を迎え、当初、北京市と結んだ20年間の契約を満了したが、新たに10年間の延長契約を結び、年間900万台規模のブラウン管生産を行なっている。

 また、中国・大連に94年に設立した中国華録・松下電子信息有限公司(CHMAVC)は、国家財務部をはじめとする中国華録集団有限公司と、松下電器が50%ずつを出資して設立した会社であり、いわば、中国政府との合弁事業会社。現在、DVDレコーダーの生産を行なっている。

 2008年5月に来日した胡錦濤国家主席も、大阪府門真市の同社本社を訪問し、中村邦夫会長、松下正幸副会長、大坪文雄社長らが出迎え、同社の最新技術について、説明を受けている。

 こうした長年に渡る政府との関係を経て、現在、中国におけるパナソニックの関係会社は81社、従業員数は10万人にのぼるという。

 それだけに、中国政府や中国の経済界には、松下電器、あるいは松下幸之助氏の名前は広く浸透している。その点では、社名変更、ブランド統一のインパクトは、日本に近い状況があったといえよう。

 それでも、全世界におけるグローバルブランド戦略を推進する上で、中国においても、松下電器の露出は社名だけにし、プロモーションはすべてパナソニックとしたのだ。

次ページ「成果を上げる中国生活研究センター(中国生活研究中心)」に続く

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