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池田信夫の「サイバーリバタリアン」 ― 第9回

「はじめに文化ありき」を唱える人々が取り違えていること

2008年03月25日 09時00分更新

文● 池田信夫(経済学者)

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「はじめに利権ありき」か?


Culture First はじめに文化ありき
「Culture First はじめに文化ありき」のトップページ

 先週、「Culture First はじめに文化ありき」というウェブサイトが立ち上がった。これを作っているのは、音楽や映像などに関する89の権利者団体だ。その「行動理念」には「流通の拡大ばかりが優先され、作品やコンテンツなどの創作物を単なる『もの』としか見ないわが国の昨今の風潮を改める」などと書かれている(強調は引用者)。

 しかし、その具体的な内容は、「私的録音録画補償金制度」をiPodなどに拡大しろという利権あさりだ。これでは「はじめに利権ありき」ではないのか。彼らが文化を理解していないのは、このスローガンでよく分かる。これは聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭の言葉をもじったのだろうが、原文はこうである。

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。(新共同訳)

 ここで「言」(ことば)と訳されているのはギリシャ語のlogosで、これはlogic(論理)の語源だ。つまり聖書が言っているのは、神のロゴス(知性)がまずあり、それを人々が継承することによって世界の秩序が築かれた、ということだ。



文化は国民の共有財産だ


 文化も、言葉なしではありえない。それは作者がゼロから作ったものではなく(神かどうかは別としても)先祖から引き継いできたものだ。発起人の一人である市川団十郎氏はこう書いている。

 江戸時代からわれわれ歌舞伎が引き継いできているのも「先祖の知恵」、それから現代の「先輩の知恵」が結集している大変な「おたから」である、「財産」である、これがなかなか、気がつかないところだと思います。

 彼が演じる歌舞伎は「先祖の知恵」であって、彼の創作物ではない。もし近松門左衛門が「私の書いた芝居を上演する役者は、子孫に補償金を払え」と言い遺したら、市川氏は補償金を払うのだろうか。

 歌舞伎を始めとする日本の文化は、市川氏も自分で言うように、先祖から継承してきた国民の共有財産であり、彼個人の財産ではない。文化とは、なるべく多くの人に読まれ、演じられ、演奏されることによって受け継がれて、広がるのである。

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