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まつもとあつしの「メディア維新を行く」 第56回

鷲宮は作品頼みから「オタクにとっての非日常」を楽しむ場へ

らき☆すた放送からまもなく10年――聖地がこれからも聖地であるために

2017年01月14日 17時00分更新

文● まつもとあつし 編集●村山剛史/ASCII.jp

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ノリからビジネスへ移行できた理由

当初は版権契約などもなく、販促部門とのやり取りが主だったという

―― ここから本格的にキャラクターの利用が発生するわけですが、当時は利用料を支払っているわけではなかった?

坂田 最初は契約書もありませんでした。

松本 最初はなんでもOKで、しまいには絵を弄りましたからね。いまでは考えられないことですけれど。絶対に怒られる。

―― (笑)

松本 そのときはキャラクターの胴体をタヌキにしてしまったんですね。

―― (笑)

松本 ところが、OK出まして。

坂田 出たんですよ(笑) 最後は『もういいや』って感じだったかもしれませんが。

松本 当時はまだ版権契約を結んでいないので、管理部門への申請自体がありませんでした。だから通ったのでしょうね。

坂田 版権管理部門と販促部門ってなんとなく雰囲気違いますよね。

―― ノリもね。

松本 どんどん拡げるほうと、締めて守るほうと。

―― 契約書を結び始めるのは……?

松本 この後くらいですね。

当時は“商売として成り立つ規模”になるとは認識されていなかったのでは、とのこと

坂田 たぶん、版権のやり取りをしたところで商売として成立するとは思っていなかったのだと思います。一過性だと。

松本 だからあくまでも販促の一部だったと思います、最初は。

―― では、最初の頃は販促担当の人が良いよ、って感じでそのまま。

松本 ほとんど販促の人と。

―― あるときから版権の方が担当になって契約書がやってきて……。

松本 そうですね(笑)

―― 結構売ってるし、買われているという事実を製作委員会も現地で目の当たりにして、版権や監修を加える通常のビジネスの流れに変わっていった?

松本 おそらく。一回のイベントで(ムーブメントが)終わらなかったので。

―― しかしそのタイミングは結構ピンチと言いますか、それがきっかけで動きにくくなったり、面白さが削がれてしまいかねないと思うのですが、そのあたりはどのように解決されたのですか? 地元の人からの「なんで自由にできないの?」という反応もあるでしょうし……。

松本 まず我々自身、『あ、制約が出たな』という感覚がありました。もう本当に、うまく回っていかないと言いますか。いままで甘やかされていた時代から急にちゃんとしたルートに乗ってしまったので。

―― 急に仕事が増えますよね。たとえば各商店で出したい商品を取りまとめて、監修に出して、戻ってきて、修正事項を伝えてまた提出……とか。それはすでに版権管理会社みたいな作業ですね。途端に仕事が増えて、負荷がかかったタイミングだと思うのですが、それをうまく乗り越えられたのはなぜでしょう?

松本 事前に相談乗っていただいたり、そこは編集や販促の方たちにフォローいただいています。

後編はこちら

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