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【所長コラム】「0(ゼロ)グラム」へようこそ ― 第72回

地球ぐるみでモノを作っちゃう「パーソナル・ファブリケーション」

2011年10月20日 12時20分更新

文● 遠藤諭/アスキー総合研究所

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FabLab鎌倉
FabLab鎌倉は、古い酒蔵を移築・改修した建物にある。1階がカフェスペース、2階が工作室となっている。


 居間にテーブルが欲しいと思って家具屋さんに出かけたが、ちょうどよいサイズのものが見つからなかった。毎日生活の中で使うものなのに、ピッタリのものが手に入らない。買い物をしようとして、こんな気分になったことはないだろうか? いまのわたしだと、自転車とか、メガネとか、コンピュータもそうなのだが、「これだ」という大きさやデザインのものがない。

 10年以上前になるが、知育玩具の元祖ともいえるフレーベル館に取材したときに、「いまの積み木は立方体が入っていないのがほとんどなんですよ」と言われてショックを受けた。

フレーベルの第三恩物
フレーベル館の「第三恩物」。全部で20種類ある恩物(おんぶつ)のうちの1つで、立方体8個だけでいかに世界が表現できるかに感動するはずだ。

 積み木の製造方法として、厚めの板を切って作ったほうが安くすむ。ところが、そのようにして作ったほかの部品に合わせて立方体を作ろうとすると、どうしても一辺の長さが材料の板の厚さより長くなってしまうからだという。フレーベルの「第三恩物」という立方体8個だけの積み木のすばらしさを知っているわたしとしては、信じられない話だ。

 ちょうどよい品物がないという話を書いたが、逆に、多くのバリエーションはなくてもよいと思えることも確かにある。ポルシェ博士の手がけたフォルクスワーゲン ビートルや、その子どもたちによるポルシェのスポーツカー、アップルの初代MacintoshやiMac、iPhoneなんかも、その思想上にある。

 一方で、世界に広がるゼネラルマーチャンダイジングストア(GMS)が、いちばん廉価な品を見つくろってきて世界中どこでも売ってしまうという状況は、積み木と同じ結果をもたらしているかもしれない。

 わたしが直面している家具というものでは、もともと生活空間は人それぞれ違っている。自転車のような身体論的な機械(体を動かすことと移動すること、周囲を見ることなど、同時にいくつもの感覚に作用してくる)では、もっと深遠な部分もあるだろう。

 わたしは、たかだか30センチ奥行きが余分にあるテーブルが欲しいだけなのだ。アルミフレームでめちゃ軽いのだが、ママチャリみたいにカゴを付けて乗れる自転車があってもよいと思うのだ。先日までかけていたメガネは、韓国ソウルのデパートで深夜1時に買ったものだが、フレームの壊れた部分を本当なら修理して使い続けたいと思っている。

 モノ作りは、日本では戦後「オートメーション」が発達してベルトコンベアー式で何でも作れるようになった。大量生産・大量消費の時代が来て、それを流通が支えて、企業が競い合って生活を豊かにしてきた。QC運動によって世界で日本の工業製品の品質は高く評価されるようになった。それは、素晴らしいことだったと思う。とろこが、いま、自分にちょうどよいモノが見つからないのはなぜだろう? しかも、フレーベル館で聞いた積み木のような話が出てきている。

 昔の積み木のほうが優れているというのは、不可解なことだ。これだけ物質的に豊かな生活の中にいるように見えて、実は、物質的貧困の中にいるともいえる。

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