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【追悼】「スティーブ・ジョブズ」の軌跡 第10回

ジョブズの何が、我々の心を捕らえたのか

2011年10月06日 22時00分更新

文● 海上忍

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 正直、覚悟していたつもりだった。第一線を退かねばならぬほど重篤な病だっただけに、遠くない将来この日が来ることも承知していた。至近距離で時間を共有したことはあるが、親しく言葉を交わしたわけではなく、その意味で別世界の出来事という感もある。だが、それでも、強い衝撃を禁じえない。そう、スティーブ・ジョブズ氏逝去の知らせだ。

 衝撃を受けたのは、もちろん私だけではない。四半世紀を超えMacを使い続けている人、片時もiPhoneを離さない人、iPodが通学の友という人、それも世界の広い範囲に及ぶことだろう。あの引退劇からわずか数十日という短さが、衝撃をさらに深く強いものにしている。

 今朝第一報が出てからというもの、私のTwitterタイムラインはスティーブを悼むツイート一色だ。それにしても、いったい彼の何が多くの人間の心を捕らえたのか。企業経営者だったのか、稀代のプレゼンテーション巧者だったのか、それともロック・ミュージシャンに近い存在だったのか。彼の人となりを振り返るにあたり、美辞麗句ではなく自分なりの解釈を加えることによって、冥土への旅立ちの手向けとしたい。

明確なビジョン

 まず、意思を周知徹底する点について。アップルそして旧NeXTを通じ、ともに仕事をしたことがある人物から話を聞くと、製品開発にあたり彼には明確なビジョンがあり、それを根底から理解することを求めるという。理解していれば矢継ぎ早な質問にも的外れな回答をせずに済み、「そう、そのとおりだよマイケル」など親しげな言葉とともに賞賛されるが、理解が足りずピント外れの回答をすれば聞くに耐えない罵詈雑言を浴びるのだそうだ。社員にとっては酷だが、これが妥協を許さない/感じさせない製品開発を支えていたことは確かだろう。

革新者(innovator)

 彼がしばらく名乗っていた「iCEO」という肩書きも、今となっては意味深だ。彼は製品開発にあたり「何が売れるか」ではなく「実現可能な理想」を求めた。復帰後のアップルで場当たり的な製品開発が鳴りを潜め(iPod Hi-Fiなど例外はあるが)、Macが秘密裏にIntelプラットフォーム移行への準備を開始したことは、その好例だろう。スマートフォン時代の先駆けとなるiPhoneも、iPodという実験的な製品の延長線上にある。暫定(interim)ではなく革新者(innovator)という意味で、むしろ「iCEO」のほうが彼にふさわしかったのではないか。

率直で情熱的な部分が人を魅了した

 訃報の衝撃が大きいのは、彼の「明確なビジョン」と「革新への情熱」が我々の心を捕らえていたから、というのが私の解釈だが、もうひとつある。気難し屋で知られたジョブズだが、プレゼンテーションの場だけでは分からない、少年のように率直で情熱的な部分が人を魅了したのではなかろうか。会社を離れれば良き家庭人だったと聞くし、ピクサーが大ヒット作を次々ものにすることができたのも、彼が人を感動させるストーリーを重視したことが大きいとも耳にした。

 それを感じさせる写真が、San Francisco Chronicle紙のWebサイト「SFGate」に掲載されている。「Apple's Steve Jobs unveils iCloud at S.F. event」と題された記事に含まれる、WWDC 2011基調講演直後にローレン夫人とともに写った2枚の写真だ。彼はおそらく、これが最後の舞台と覚悟していたはずで、心中に去来する思いを噛みしめるかのような表情を見せている。

「Apple's Steve Jobs unveils iCloud at S.F. event」

 私が彼の訃報に接しても感情的にならなかったのは、すでにこの写真を目にしていたからかもしれない。最後になったが、スティーブのご家族には心よりお悔やみ申し上げたい。スティーブ、これまでありがとう。そして安らかに。


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