転換期にあるのは、古炉奈だけではなくアキバそのものだ
「1982年、松波無線はラオックスと合併しています。当時、新宿のラオックスの隣で『皇琲亭』という喫茶店が繁盛していたんですが、そのビジネスモデルを受け継いだ山下コーヒー株式会社に『古炉奈』のコンセプトを作ってもらうことになりました」
壁には漆喰を塗り、柱には古木を取り入れた。松本民芸家具から美しい家具の数々を買い付けるため、長野にも飛んだ。「秋葉原の応接室」をイメージした新生「古炉奈」の投資額は合計で7000万円にも及ぶという。そこまでの金額をかけて本格喫茶を作ろうとしたのは、一体なぜなのか。
「私は秋葉原を『攻めの街』だと思っているんですよね。当時やろうとしたことは、『秋葉原に異空間を作る』ということだったんですよ。それまでのコロナが日常的な喫茶店だったのに対して、まったくの非日常を作ろうという発想でした」
その「攻め」から20年近くが経ち、秋葉原と古炉奈にふたたび大きな転換期が訪れる。初めの異変は2007年から現在にまで及ぶサブプライムローン問題に端を発する、世界規模の経済危機だ。家電消費の冷え込みは電気街を直撃した。
日本全体がどこか薄暗い閉塞感に覆われていく中、ついに最悪の事件が起きてしまう。秋葉原の中央通りで発生した、連続殺傷事件だ。事件後に中央通りの歩行者天国は中止され、店の売り上げは激減した。
「2005年にヨドバシAkibaが設立され、つくばエクスプレスが開通し、一般客が増えはじめたと思った矢先のことですからね。金融危機の影響で海外からのお客は減り、歩行者天国中止の影響で一般のお客も減っていく。最悪でした。それが秋葉原と古炉奈に訪れた『2度目の転換期』なんですよ」
古炉奈の歴史は内装とともに新店舗「グランヴァニア」に受け継がれていく。無論そこからこぼれ落ちるものもあるかも知れないが、いずれそこには新たな歴史が生まれてくる。20年後、この場所に3度目の「転換期」は訪れるのだろうか。アキバは今ふたたび生まれ変わり、次の姿に移ろうとしている。