紙に変わる存在へ
新しいKindleと、iPhoneやニュースリーダーのことを見ていると、紙のメタファーとしての画面が、次の段階に入りつつあると思えるのだ。1970年代にゼロックスで、1ピクセルを72分の1インチとして(印刷で使われてきた文字サイズを表わす「ポイント」という単位とは僅かな差がある)、コンピュータ画面で「WYSIWYG」(見たものが手に入る)ということが考えられた。それにかかわる答えの1つが、いまちょっと見え始めているのかもしれない。
『New York Times』のリーダーは、PCやMacでも提供されているが、ひとことでいえば、新聞をそのままではなく、折りたたんで都合のよいところを見ていくようなやり方だ。同紙は、「いかに記事を読みやすくするか?」に関しては、最も早くから取り組んできた新聞である。マイクロソフトの「WPF」(Windows Presentation Foundation)のデモや米国の情報系ケータイ「Sidekick」でも、New York Timesのリーダーが早くから提供された。
Kindle DXのほうは、実物に触ってみないことには、どれほどのものかも言えない部分がある。また、この種の電子ブックリーダーなら、2003年ごろにソニーやパナソニック、東芝が、国内でも展開したではないかとも指摘されそうである。しかし新Kindleは、新聞宅配の代替として使うことや、PDFに対応したことで社内文書や論文の閲覧も想定している点が新しい。「これはただの紙です」といわんばかりだ。
もう1点、こうした動きを見ていると、新聞はこれらの新しいシステムによって、「編集」というものの価値を取り戻そうと考えているとも思う。これまでの新聞社のニュースサイトのつくりは、ネット新聞の草分けである『サンノゼ・マーキュリー』が1993年に始めた手法から、一歩も踏み出せていなかった。その結果、2002年にグーグルが開始した「Google News」によって、新聞というパッケージがバラバラにされるようなことが起きた。だが、それに対して、新聞ごとの専用リーダーなら、その日の新聞の記事立てや特集的なアプローチも有効となる。
アップルは、iPodという端末とiTunesというソフトによって音楽の世界を変えてしまった。iTunes Storeが、Google Newsが新聞をバラバラにしたように、音楽アルバムをバラバラにしてしまったという指摘もある。しかし、「1000曲持ちだそう」というスタイルを示したことで、違法コピーで危機に瀕していた音楽を蘇らせた部分もある。重要なのは、ウェブ上だけでできるビジネスモデルではなく「システム」だということだ。
新聞がニュースリーダーという答えを出しつつあるのだとすると、本はどうなのか? 「組版」から「インターフェイス」に、デザインの重心が少しだけ移動するということかもしれない。本の装丁が1冊ずつ異なるように、電子本のインターフェイスも意匠を凝らすこともできる(アドビ システムズのAdobe AIRやマイクロソフトのSilverlightは、この種のアプリを想定したものともいえる)。一方、Kindleで使われている電子ペーパーのほうも、これからいよいよ実用化されていきそうだ。
本や新聞の電子化やデジタルライブラリの議論とは別に、新しくデジタルの力を借りた、紙メディアの継承のかたちがあるということだ。
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