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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第8回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

表現する動機

2008年07月13日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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著作権の保護期間延長は 未来の国民に歓迎されるか


 人が表現する原動力は何だろう。例えばいまや国内で数百万人が書いているというブログ。その動機の根源は「書きたい」という表現欲求だ。それに加えて、コメントやトラックバックがもらえたり、アクセス数の増加が励みになる。つまり、読者の存在だ。

 発信したメッセージが誰かに届いているという安心感が、次の表現の糧となる。読んでもらっているという手応えが、継続のチカラだ。ブログというシステムは、そのような書き手の心理をうまく取り込んでいるのだ。

 では、権利が動機になっているブロガーはどれくらいいるだろうか。著作権が欲しくてブログを書いているとか、著作権の保護期間が20年延長されたら急に執筆意欲が増すという人はそんなにいるものだろうか。ほとんどの人は、著作権の存在など意識せずにブログを書いているのではないか。表現の原動力は、制度や権利ではなく、人間の本源的なクリエイティビティーなのである。

 そもそも著作権法は創作意欲を刺激するための道具ではないはずだ。特許法は「発明を奨励」することを目的のひとつに掲げているものの(1条)、著作権法にはそれに匹敵するような、創作を奨励するといった文言がまったく存在しない。創作的表現をするかどうかは個人の自由であり、法律は関与すべきではないのだ。

 創作者にとって最も大切なのは、「自分がその表現をした」という事実、そしてそれを尊重する社会的評価だ。ある人がその作品を表現したということに対して人々が将来にわたって敬意を払うことが、創造的な社会の基礎なのだ。そのために著作権法は、「著作権」の前に「著作者人格権」を規定している。


(次ページに続く)

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