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日本のITを変える「AWS侍」に聞く第23回

高いポテンシャルを持つ日本の情シスを再生させたい

クラウド時代のあるべき情シスを訴える友岡さんが武闘派CIOになるまで

2017年07月27日 09時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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いかにも日本の製造業といったフジテックに身を置き、CIOとしてクラウド導入を進めてきた友岡賢二さん。JAWS DAYSなどのイベントでは「武闘派CIO」として日本の情シスの課題やあるべき姿を訴え続けてきた。友岡さんが武闘派CIOになるまでの半生を追った。

本連載は、日本のITを変えようとしているAWSのユーザーコミュニティ「JAWS-UG」のメンバーやAWS関係者に、自身の経験やクラウドビジネスへの目覚めを聞き、新しいエンジニア像を描いていきます。連載内では、AWSの普及に尽力した個人に送られる「AWS SAMURAI」という認定制度にちなみ、基本侍の衣装に身を包み、取材に望んでもらっています。過去の記事目次はこちらになります。

コードからビジネスプロセスを理解した松下時代

 ヒップホップが大好きで、大学時代に1000枚近くのレコードに埋もれてDJ的生活を送っていた友岡さん。音楽業界に入ろうとレコード会社やタレント事務所で下働きしていたが、「性格がまじめすぎて業界に合わなかった(笑)」という理由で、商売道具だったテクニクスのターンテーブルを手がけていた松下電器産業に入社したのが1989年。もともと商学部だったため、マーケティングを指向して適性検査を受けたが、数学の得点がよすぎて、SEとして情シスに配属される。「当時はワープロもなかったので、卒論も400字詰め原稿用紙で手書き。キーボードに触ったこともなかったのに、いきなりCOBOLの練習プログラムを作らされることになった」という誤算と波乱の社会人スタートだった。

フジテック CIO 友岡賢二さん

 「成績も100人中ビリで、詰んだなと思った」(友岡さん)といった経緯で人事部にかけあうものの、「とにかくがんばれ」とけんもほろろ。しかし、海外には行かせてもらうというアメをぶらさげられ、1500本ある財務会計のCOBOLのバッチが不具合を起こさないよう、4年間に渡って他人の書いたプログラムをひたすら読み続けた。しかし、不毛とも思えるこのときの経験が友岡さんの人生に大きな影響を与える。「財務会計のプログラムって、すべてのプロセスからデータが最後に集まってくるところ。しかも、パッケージではなく、手組みのシステムだったので、コードを読みながら、ビジネスプロセスの大きな流れを理解できた」(友岡さん)とのことで、プログラム自体も楽しくなったという。

 その後、夢が叶い研修生としてハンブルグ(ドイツ)に出向し、現地法人の情シス担当としてシステム開発を手がけてきた。「当時はインターネットもなく、今のように世界がフラットじゃなかった時代。やりとりはFAXや電話で、日本からも隔絶されていた感じだった」(友岡さん)ということで、ドイツの生活にどっぷりはまった。日常会話でドイツ語を学び、ワークライフバランスの優れたドイツの働き方を体に叩き込ませた。「効率的に、システマチックに働くということをドイツで学べた」(友岡さん)。

 最初の渡欧は研修生という立場だったが、2回目はマネージャの立場。ロンドン、ハンブルグを拠点に、7年間かけて欧州のSAP R3プロジェクトを率いる立場になる。現地ではHA構成のデータセンターの立ち上げをイチから行なったため、ITコストの高さや高可用性の難しさ、運営の大変さを肌感覚として理解できた。「日本では組織が多層化しているので、プロジェクト全部見るのは難しいけど、海外だと誰も頼る人がいないので、すべて自分でやるしかなかった。海外で情シスを全方位的に学べる経験はすごく大きかった」(友岡さん)。ここでの試行錯誤が後のクラウドのインパクトやCIOという役職へのフォーカスにつながってくることになる。

ERPブームの結果、情シスは要件を伝えるだけの手配士になりさがった

 その後、パナソニックAVC社のグローバルIT担当になり、今度はOracle EBS(E-Busness Suite)の最適化プロジェクトを推進。結果として、ERPはSAPもOracleも経験したことになるが、「どっちもやったけど、結局どっちも好きじゃない(笑)。OracleやSAPにあわせてきれいに作るのは、日本企業にとっては難しいんです。会計や人事をイチから作るのはナンセンスだけど、業務系は自分たちで作った方が僕は好きですね」と振り返る。

 このときの経験は、情シスがなぜ衰退したのかという議論に1つのヒントを与えてくれたという。パッケージが時代の潮流、手組みのシステムはレガシーという風潮の中、ビジネスプロセスを理解しないまま、ERPの構築を外部コンサルタントに依頼したことで、情シスの能力は大きくそがれてしまった。一方、情シスが上流プロセスへとシフトしたところで、いかに実装すべきかの深い理解がなければ、パッケージ導入はやっぱり成功しない。

 「もともと自分たちですべてコーディングしていて、ビジネスとITをしっかり理解していたのに、結局ビジネスからも、ITからも遠くなってしまった。このあたりから情シスの“根腐れ”が起こり始めた。ERPブームの結果として、情シスは要件をベンダーに伝えるための手配師に成り下がってしまった」(友岡さん)。後に武闘派CIO仲間となる長谷川秀樹さんもコンサルティングの立場で同じ風景を見ていたに違いない。

 そんな疑問を感じていた友岡さんがクラウドと出会ったのは、北米に勤務していた2006年頃にさかのぼる。きっかけはニコラス・G・カー氏が書いた「クラウド化する世界」。ITがユーティリティ化する未来を提示した同書の内容に腹落ちした友岡さんは、EC2とAmazon S3しかなかったAWSを実際に試し、大きな衝撃を受けたという。「本を買うためのアカウントでサーバーが作れることに驚いた。明らかに潮目が変わったことを実感した」と友岡さんはそのときのショックを振り返る。

 友岡さんがクラウドに強く惹かれたのは、まさに自身がデータセンターの構築・運営で苦渋をなめ続けてきたからにほかならない。「北米リージョンのS3においた写真を、簡単にヨーロッパに移せるのも驚いたし、S3のアベイラビリティもすごいと思った。データをAWSに預けてしまえば、後ろ側の面倒なことをこんな値段で任せられるというのは、われわれにとってありがたかった」(友岡さん)。

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