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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第7回

前編 ~作家とリスナー、コンサートとレコードの関係~

なぜ音楽は無料が当たり前になってしまったのか

2015年12月29日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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コンサートへの嫌悪がレコードという世界観を生み出した

 グールドは演奏家としても優れた資質を持っていたのだが、1964年の演奏会を最後にコンサートからの引退を表明し、最新のテクノロジーを駆使したスタジオでのレコーディングに心血を注ぐようになる。M・マクルーハンに多大なる影響を受け、メディアへの鋭い洞察も持ち合わせていた彼は、あるインタビューの中でこんなことを言っている。

“もちろんぼくはキットという考え方に全面的に賛成です。ぼくは、異なった演奏のシリーズを発売して、聴き手にもっとも好きな録音を選ばせたいなあ。彼らに彼ら自身の好きな演奏をつくらせるんですよ。彼らに、構成部分を全部、異なったテンポの断片をすべて与えてやるんです。異なったダイナミックの変化を用い、彼らがほんとに楽しめるまで編集をまかせるんですよ。その程度にまで編集の仕事に参加させるんです。ぼくはこういうことをとてもやってみたいですね。”

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カナダのピアニスト兼作曲家グレン・グールドの著述、発言、インタビューなどを集めた「バッハからブーレーズへ グレン・グールド著作集 1」と「パフォーマンスとメディア グレン・グールド著作集 2」(みすず書房)

 この発言は先に述べたデジタルメディアの基本原理としての“モジュール化”や、作品の最後の編集を担うのは聴き手であるという現在的な感覚を、デジタル以前の時代にすでに先取りたものと言える。

 実際、グールドは自分で演奏した複数のテイクをバラバラに分解し、それらをツギハギすることで作品に仕上げたりしており、彼はこの編集による音楽制作を「創造的なごまかし」と呼んでいる。

 ちなみにビートルズもライブ活動からの撤退を1966年に宣言し(1969年の有名な「ルーフトップ・コンサート」には観客がいない)、グールド同様、スタジオでの録音技術をフル活用した作品制作に没頭していくわけだが、その成果は1967年に「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」という世界初の「コンセプト・アルバム」として見事に結晶化する。

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ビートルズが1967年に発表した記念碑的アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」。さまざまな効果音や逆回転の音声などをコラージュし、まさにライブの一回性の価値とは異なる編集技術による音楽創造を目指した

 以降、皮肉なことにLPレコード=アルバムというメディアが今度はアーティストの精神性や世界観、イメージの全体性を表現する音楽作品の標準的なフォーマットとなっていく。そして、デジタルテクノロジーの登場によってこの神話は再び崩壊する。さらに、グールドやビートルズが毛嫌いしたライブが、フェスなどの形をとって現在の音楽産業の主力商品となりつつある。

 

 レコーディング技術が進歩を遂げる以前と以降でもこれだけのめまぐるしい変化が音楽には存在するわけで、それは音楽の制作者側の意識にも聴取者側の意識にも等しく影響を及ぼしている。従って、そのどれかひとつが音楽が売れなくった原因であると特定するのはあまりにも乱暴だ。とは言え、次回も引き続きさらに別の切り口からの考察を展開してみたいと思う。



著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)

 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。「エディターシップの可能性」を探求するミーティングメディア「Editors’ Lounge」主宰。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。

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