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日本のITを変える「AWS侍」に聞く ― 第9回

クラウドネイティブ世代が語る「プロフ」「やりがい」「楽しみ」

AWS登場に感動はなかった?“クラウドゆとり世代”のぎょりさんに聞く

2014年12月22日 06時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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今回、福岡のAWS Roadshow会場で話を聞いたのはJAWS界隈では“ぎょり”でおなじみの永淵恭子さん。2011年にサーバーワークスに入社した時には、すでにAWSがあったため、オンプレの苦労は彼女の妄想が作り出すしかないようだ。15歳年の差のある2人のかみ合っているような、すれ違っているようなやりとりをお楽しみください。(インタビュアー TECH.ASCII.jp 大谷イビサ 以下、敬称略)

本連載は、日本のITを変えようとしているAWSのユーザーコミュニティ「JAWS-UG」のメンバーやAWS関係者に、自身の経験やクラウドビジネスへの目覚めを聞き、新しいエンジニア像を描いていきます。連載内では、AWSの普及に尽力した個人に送られる「AWS SAMURAI」という認定制度にちなみ、基本侍の衣装に身を包み、取材に臨んでもらっています。過去の記事目次はこちらになります。

「情報処理系の学部に行ったらプログラミングだった」

TECH大谷:では、連載のお約束としてビジネスプロフィール的なところから。福岡が地元なんですか?

永淵:地元です。小・中・高まで福岡で、大学で上京しました。

サーバーワークス クラウドインテグレーション本部 クラウドコンサルティング部 エンタープライズセールスチーム アシスタントマネージャー 永淵恭子さん

TECH大谷:大学はいわゆる情報処理系なんですか?

永淵:はい。でも、そもそも情報処理系は新しい情報を取り込んで、記事作るとか、模造紙に発表書くとか、そういう系かと思って入ったんです。そうしたらプログラミングだった(笑)。

TECH大谷:資料よく読めよって感じですね。

永淵:本当、そうです。東京行きたかったのと、津田塾大学には入りたかったのです。英文科、国際関係、数学科、情報科学の4つあって、英文科と数学科って英語と数学ばっかりやってるっぽいじゃないですか。

TECH大谷:まあ、名前からして、そうですねえ(笑)。

永淵:国際関係もよくわからないので、消去法で情報処理系だったんです。最初はJavaで、3年生から研究室で好きな言語をやれるんです。

TECH大谷:じゃあ、4年間プログラミング漬けだったんですか?

永淵:いや、ビックリしすぎて、遊びすぎて、バイトしすぎて、学校に行かなくなって、夕方しか起きられなくなりました。

TECH大谷:私と同じですね。私もコンビニの夜勤と夕方の講義を続けてたら、朝起きられなくなったので、夜型の出版社のバイトに入ったんです。これを今の朝型に変えるのは相当大変でしたよ……って、俺の話はいいや。で、結局、大学は卒業できたんですか?

永淵:5年かかって卒業して、就職活動。企業見学やシステム見学とかめっちゃ行きました。

「企業見学やシステム見学とかめっちゃ行きました」

TECH大谷:す、すいません。それっていつの話ですか?

永淵:2010年の2・3月ですかね。

TECH大谷:えーー!なんだ、めちゃくちゃ最近じゃないですか。どんなところに入りたかったんですか?

永淵:小さいところ。社長と直接話せるところがいいなあと思って。大学時代、プログラミングが面白くなかったところから始めて、3年目で実は面白くなってきたので、情報系の会社がいいなあと。あと、営業職で、新卒募集しているところ。探して見つかったのがサーバーワークスでした。

TECH大谷:なんで営業なんですか?せっかくプログラミング勉強したなら、エンジニアになればよかったのに。

永淵:エンジニアってセンスじゃないですか。私はそれで食っていくのは、無理だと思ったし、外に出て話すのが好きなので。学生時代は、プログラマーは会社にこもって、ずっとコード書いているもんだと思いこんでました。

TECH大谷:じゃあ、会社入ったときには、もうAWSがあったんですね。

永淵:震災の後の2011年4月に入社したので、サーバーワークスはすでにAWSをかついでいました。だから私はAWSを売る営業として入ったんです。

(次ページ、「AWSが登場した時の感動は私にはないんです」)


 

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