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2年連続の女王戴冠なるか? 5年目のミクGTプロジェクト 第25回

GSR関係者インタビュー最終回

清濁併せ呑む! 安藝社長が見据える初音ミクGTの未来

2012年07月03日 18時00分更新

文● 末岡大祐/ASCII.jp編集部

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勝てないままやめたくないが
勝てないようではいけない

──2011年にStudieの鈴木さんにZ4で出ようと打診した理由はありますか?

安藝 勝てないままやめたくない、という気持ちがありましたよね。また、今まで応援してくださってるファンのみなさんを飽きさせないためにも、もうひと演出必要だろうと。そこで、鈴木さんにZ4 GT3を買ってもらおうじゃないかと(笑)。これで参戦当初の体制に近くなるし、初心に戻るという意味でもいいんじゃないかと思いました。そのうえで右京さんを始めとするレース関係者に“勝てる体制”というのは何だってのを教わって、あのチーム編成になったんです。鈴木さんや大橋さんを経由せずに、僕に直接オファーを頂くこともありました。例えば○○○○のチームとか。ただそのときは“レース界”とうまくやれる気はしてなかったので、オリジナルの体制のほうが無理も通るだろうと考えました。

 まず、好きになってもらえる体制を作って、予算をできるだけつけて、そのうえで右京さんだとか小林可夢偉選手だとか引きのある人たちに来てもらって、もう僕らがあとに引き下がれないような体制になれば、ドライバーを口説くにしてもみんな本気になってくれるだろうし、メディアも振り向きやすいだろうと。“ここまでやったら勝たなきゃ”という背水の布陣を敷かないと、ひとりひとりが必死になれないと思うんですよ。うまくいきそうな雰囲気が人の努力を引き出しますよね。“どうせダメだろう”という雰囲気だと頑張れるものも頑張れないと思うし。ここまでが僕の仕事ですね(笑)。

谷口選手の電撃加入であらゆる人が衝撃を受けた2011年の参戦体制発表会

2台体制もさることながら、谷口選手の相方にチャンピオン経験者の片岡選手を抜擢、そしてカムバックした佐々木選手と相変わらず話題に事欠かない体制の2012年。安藝社長いわく「すべての人を追い込むエグい体制」とのこと

──右京さんとのファーストコンタクトはいつだったんですか?

安藝 もともとは右京さんに2010年の鈴鹿のサードドライバーとして乗ってくれないかとオファーしてたんですよ。いけそうな雰囲気だったのですが、いろいろあってダメになってしまいました。とはいえ、せっかくだから何か一緒にやりたいですね、とは言ってて。その後は僕がちょいちょいアニメ系イベントに連れ回して、それに右京さんが「こんな熱い世界があるんだ」と乗り気になってくれたんですよ。それでこのチームにも加わってくれて、ウチのチームに来ようかどうか迷っていた谷口選手を説得するために電話もしてくれました(笑)。

──かなり強力なチーム体制になりましたよね。

安藝 実はみんなあとに引けない体制だったんですよ。谷口選手は10年やってきて、どうしてもチャンピオンが欲しい、RSファインもRE雨宮が撤退したあとなので実績が欲しいはず、Studieもそろそろ結果を残さないとレースを続けられない、GSRとしてもこれ以上無様な姿は見せられない、右京さんも7~8年ぶりのモータースポーツ復帰、番場選手は完全に後がない(笑)。もう全員が勝つために努力するしかないという状態でした。「自動的に頑張る」という感じで。

──2012年は2台体制にして番場選手の活躍の場を残しました。

安藝 初代Z4の時代に、彼が参加した時がタイミング的にZ4が速くなっていただけかもしれないけど、そこで「お、速いじゃん!」とチームに希望を見せてくれたのは彼ですよね。僕らのチームも戦えるんだという雰囲気を作ってくれたのは、やっぱり番場選手なんですよ。そこは大事にしたかったし、それに対して僕らはまだお礼を返せてないと思っていました。彼のチャンスを作るというのは、僕らからのお礼なんです。彼のここまでの貢献は生かしたかった。大事なものをチームにくれたと思っています。まあ、途中でいろいろと考えるところはありましたが(笑)。

2009年の鈴鹿戦で助っ人として登場した番場 琢選手。オートポリスからチームに正式加入した。今ではすっかりチームのムードメーカーである。今年の2台体制は今までチームを引っ張ってくれた番場選手への安藝社長からの恩返しだという

──2011年はハラハラさせられることもありましたね。

安藝 プレッシャーに負けて本人の心が折れてしまわないかが、一番心配でした。とくにオートポリス戦のあとは「こりゃマズイ」と。もしかしたら折れてるかも、と思って彼の飛行機が着く時間を見計らって松戸に呼び寄せました。いろいろ話して、これ以上迷惑かけられないしなんとかしようと。何より彼の将来もありますし。

──ちなみに、どんな話をしたんですか?

安藝 戦うハートの作り方みたいな話を6時間くらいしてましたね。

──6時間も! では、もてぎでの番場選手スタートはさほど心配ではなかった?

安藝 そうですね、まったく心配していませんでした。タイヤとか本人のコンディションとか、状況を考えればあれが最適でしたしね。ただ、スタートすると急に不安になってきて、モニターをガン見してましたけど(笑)。

2011年の最終戦ツインリンクもてぎで初めて、スタートドライバーに番場選手を起用した。これはギャンブルでもなんでもなく、番場選手のポテンシャルを信用しての作戦だった

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