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今月の転入生:原田郁子(クラムボン)

ちょい出し!「ユザーンの川越コンピューター学園」 その4

2012年04月02日 12時00分更新

文● U-zhaan

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MacPeople 2012年2月号から連載が始まった「ユザーンの川越コンピューター学園」。4回目のゲストはバンド「クラムボン」の原田郁子さん! 校則に反抗していた学生時代の話や普段マックで何をしているかなどを聞かせてくれました! そんな連載の模様をASCII.jp読者の皆さまに少しだけお見せいたします!!


原田郁子

今月の転入生:原田郁子(はらだいくこ)

'75年、福岡生まれ。バンド「クラムボン」の歌と鍵盤担当。バンド以外でもさまざまなミュージシャンとレコーディングやライブで多数共演している。'04年からソロ活動も始めており、これまでにアルバム「ピアノ」「気配と余韻」「ケモノと魔法」「銀河」を発表。'10年5月には吉祥寺に多目的スペース「キチム」をオープンさせた 

「若くしてすでにすごい境地に達してるね」

ユザーン 郁ちゃんは中高どっちもセーラー服だったの?

原田 だったです。私は親の転勤が結構多くて何回か転校してるんだけど、最初に行ってた中学はかなりヤンキー学校だった。スカートとか思いっきり長くてさ。上履きはみんなかかとを踏んづけてるし、男の人も学ランをめくるとグワーって刺繍が入ってるような感じで。

ユザーン×原田郁子

ユザーン 自分もヤンキーだった?

原田 その中で、私だけおかっぱだった。

ユザーン じゃあいい子にしてたんだ。

原田 全然いい子じゃなかったな……。

ユザーン どうして突然そんなに声を潜めたの(笑)。きちんと校則守っておかっぱにしてたんじゃないの?

原田 みんなさ、中学に入ると制服を着せられて、突然校則に縛られるでしょ。で、それをなんとかして破ろうとした人たちは、当時の工藤静香ちゃんみたいに前髪をすっごく伸ばして、しゃべってるときも少しでも長く見えるように目の下まで引っ張ったりしてたのね。

ユザーン わかるわかる。

原田 それが、私にはなんだかうっとうしく見えた。なんていうのかな、校則に反抗する人たちに、さらに反抗するような気持ちでオンザ(眉毛)にしたの。

ユザーン なにその反抗期(笑)。

原田 ヤンキー系の人たちって眉毛も細く剃るじゃない。眉を剃って細く描いて、茶髪にして。私だけ、なぜかそういうのの逆に行っちゃったんだよね。眉毛はすっごい太くて、黒髪のおかっぱで、前髪は短いし。

ユザーン 反骨心が強すぎて、不良にすら反発しちゃったんだ(笑)。ヤンキーの友達はいた?

原田 いや、友達自体があんまりいなかった。なんか、みんなが群れてる感じがダサいなって思ってて。

ユザーン 若くしてすでにすごい境地に達してるね。

原田 でも意外とヤンキーの子たちって熱い人が多いから、手紙で恋愛相談されたりしてたよ。当時ってメールがまだないから、手紙が普及してて(笑)。入学すると、3年生のヤンキー系女子が新入生に声をかけてきて「手紙やろうや」みたいになるわけ。

ユザーン 手紙やろうや? なんだそれ。

原田 「私と手紙をやり取りする相手になれ」っていう。で、新入生は緊張してるし、なんのことだかわからないしでちょっと怖いんだけど、そうやって年上の先輩から手紙の相手に選ばれるのは彼女たちにとってステータスなの。

ユザーン ごめん、あなたが言ってることの意味がほとんど……(笑)。上級生と文通みたいなのをする、ってこと?

原田 うん。私はヤンキーでもなく、かといって真面目な感じでもない珍味系みたいな存在だったから(笑)、やっぱりそういう珍味っぽい先輩が声をかけてくる。

ユザーン そんな文化、川越にはなかったと思うな……。

この続きはMacPeople 2012年5月号で!


U-zhaan(ユザーン)

インドの打楽器「タブラ」の奏者。ザキール・フセイン氏、オニンド・チャタルジー氏に師事するため毎年インドに出かけている。インドでつぶやいたTwitterのコメントをまとめた書籍「ムンバイなう。」((株)スペースシャワーネットワーク刊)が好評発売中


文/U-zhaan
写真/篠原孝志(Pacia)
ヘアメイク/廣瀬瑠美
スタイリング/志葉則行
衣装協力/CONOMi(【URL】http://www.conomi.jp/)


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