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【所長コラム】「0(ゼロ)グラム」へようこそ

やっぱりGoogle TVなんていらないよ(いまのうちは)

2010年11月26日 06時00分更新

文● 遠藤諭/アスキー総合研究所

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技術者・開発者がAndroidに見る夢は?

 『Google Android完全解説』(アスキー・メディアワークス刊)の著者たちが、この本に込めた思いを書いているのだが(「豆蔵Android同好会」PDF)、そこには「夢がある ハード系の技術者にとっては、どんなハードの上で動かそうかなあ!(Open Device) ソフト系の技術者にとっては、どんなソフトを作ろうかなあ!(Open Software, All applications are equal)」「我々のような非組込系ソフト技術者にとっては、今までの開発スタイルが結構通用する」などとある。

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 ケーキ屋さんの調理場に、中国の点心師がやってきて、パティシエの仕事ができるかとういと、たぶん難しい。道具や設備、ふだん使っている材料も違うからだ。ところが、これを可能にする調理道具・厨房器具一式ともいうべきものがAndroidなのだともいえる。

 このことは、IBM PCがデファクトとなって広がったとか、オープンソースの「数の原理」とは違う、新しいヒントを提供していると思う。Linuxの中心人物であるリーナス・トーバルズ氏が、NHK教育『ITホワイトボックスII』のインタビューで興味深いことを述べていた(たまたま私はこの番組のコメンテーターだったのだが、「なるほど」と思わずうなずいてしまった)。

 “Linuxは、さまざまなモバイル機器で使われてきている。そして、携帯電話などのモバイル機器で重要な技術の1つが省電力である。ところが、近年になって、サーバーの世界でも急速にグリーンITということが言われ、エネルギー消費が問題になってきた。このときに、モバイルで培われた省電力の技術が、サーバー分野で生かされたのです。”

 こうした展開は、リーナス氏自身も予想しなかったことだったというのだ。ケーキにも点心にも使っているうちに、飲茶で出せるような新しいケーキが作れた、というような話ではないか。Linuxと同じようにオープンソースの世界であるAndroidが、身の回りのあらゆる機器に載ってくることによって、今後、誰も考えていなかった展開を見せるのではないか?

さまざまなデバイスに拡散した
Androidは、やがて1つに収束する

 Google TVの登場は、このような「汎Android思想」ともいうべき世界の中でとらえられるべきなのだ。しかも、20世紀中盤に登場して、世界の茶の間を席巻した「テレビ」というものがテーマである点が大きい。

 これの中で流れる広告(AdSense)や“Tコマース”(テレビ商取引)は、いままでのテレビとは異なり、パーソナライズ(というか“ファミライズ=Familize”)されていくことが最大の特徴である。グーグルはいままで、誰がどんな「言葉」を検索したかで商売をしてきたが、これからは、どんな「映像」を見たかで商売をすることになる。

 グーグルの検索システムによって、ウェブでビジネスを展開する人たちには「グーグルジュース」(Google Juice)と呼ばれるものが分け与えられてきた。そのとても甘い果実のひとタレというものを、いちばん源流から引き込むための灌漑システムがAndroidなのだ。

 つまり、グーグルの次の生命線がAndroidで、その本命っぽいデバイスとしてGoogle TVが出てきたと思うのだが、どうもいまのところは「QWERTYキーボードが使えるテレビ」のような印象しか受けない。あるいは「入力切り替え後にリモコンを持ち替えなくていいテレビ」というところか。

 アップルのiPhoneの使い勝手やiTunes Storeの仕組み、アマゾンのKindleの「Whispernet」(PCで電子書籍を買うと、いつのまにかKindleに本が入っている)を見てほしい。この2社は、絶対に腐らないコンテンツという魔法のような商品に対して、「誰も取りにいかないならボクらがもらうね」と、未来永劫チャリンチャリンとお金の入る仕組みを作っている。しかも、この2社のサイトで音楽や電子書籍を一度買ったら、死ぬまでお付き合いいただきたいという生命保険のような商売だ。

 いまの時代に大切なことは、なんのことはない「いかに使いやすくて便利であるか?」なのである。

 クラウド時代には、計算処理なんかはクラウド側でやることになるから、端末側で重要なのはユーザーインターフェースになってくる。いわば、いままでコンピュータがやってきたことが全部クラウド側に行って、テレビでいえば肝心の番組というのは全部テレビ局側で作って送ってくるような構造になる。クラウド時代というのは、テレビのような構造をしていると思う。

 iPhoneやAndroidがやがてもたらす世界というのは、すべてがアプリプレーヤーであり、すべてがクラウドのフロントエンドとなり、すべてがターゲティング広告のメディアとなる、新しい時代の「テレビ」なのではないだろうか?

 おそらく、DELLやAcerがスマートフォンをまじめに作っているのも、これと大いに関係があると思う。彼らは、この流れが、やがてコンピュータをも飲み込んでしまうと感じているに違いない。すでに、ソニーのVAIO Pの内部構造は、PCというよりはスマートフォンを思わせるものがある。アップルが新Mac Book Airとともに発表した「Mac App Store」も、こうした動きのひとつに違いない。

 あらゆるデバイスは、将来的に「未来のテレビ」(Future TV)とも言うべき1つのアーキテクチャーに収束を始めている。Androidは、決してそういう趣旨で名付けられたのではなく、単にAndy Rubinというプロジェクトの中心人物の名前から付けられたものである(Andy→Android)。しかし、文字どおりのアンドロイドともいうべき、人間にとって普遍的なパートナーのような存在になる可能性がある。

Internet TV

ネットはコンピュータ以外のインターフェイスを求めて試行錯誤を繰り返している。クラウド時代にはクライアントの役割は相対的にUIが重要になる。あらゆるデバイスがiOS、Android、WebOS的な端末に集約される可能性もある。

 なお、Google TVについてのその後の情報では、前回書いたようにはアプリ開発ができないという話がある(わたし自身が直接は確認していないのだが)。もっとも、iPhoneも初代が発表された段階では、ユーザーにアプリ開発の扉を開いてはいなかった。

 ここまで書いたが、主役は「Androidではないですよ」(あるいはiPhoneでもないですよ)という声もあるだろう。しかし、こうしたプラットフォームと付き合っていくことが、すなわち生きることだというような、SFな時代が来るのではないか。

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