エンジニアの読者なら「“IT業界の勘違い”クリニック」や「エンジニア転職百景」を読んだことがある人は多いかもしれません。これらの作品では、IT開発現場で働く人々の姿が“おかしく”ときに“悲しく”漫画にされています。作者であるきたみりゅうじさんは元プログラマという経歴の持ち主。どのような経緯で現在のような人気漫画家(兼イラストレーター兼ライター)へ転身していったのか、これまであまり触れられてこなかった経歴についてお聞きしました。
イラストレーターは不本意だった!?
きたみさんは、教科書のすみにガンダムなどを落書きするのが大好きな少年だったそう。当時から「絵を描いて暮らしていけたら……」という思いはあったそうですが、「夢みたいなことを言ってるなよ」とその想いを心のうちにしまい込み、結局新卒の職業としてはプログラマを選んだと言います。
「大学生の時コンピュータに興味を持ち、プログラマになろうと決めました。当時(1990年頃)、まだコンピュータの値段が高かったので、仕事にしたらコンピュータに触れると思ったのです。また、この頃ソフトウェアが自動車をはじめとした多くの工業製品に入ってきていたこともあり、ソフトウェア関連の仕事の今後の広がりを考えていました。現実的であり、楽しめそうな職業としてプログラマは魅力的でしたね」
大学卒業と同時に、ネットサービスの開発業務を行なっている会社に入社。順調なプログラマ人生の始まりかと思いきや、そうではなかったと言います。
「待っていたのは、プログラミングの勉強なんてできない──例えば、50人いて20~30台くらいしかPCのない環境でした。一応プログラミングは教えてくれましたが、使えるPCがなくては試すこともできません。しかも、僕に与えられた仕事はWebサイトに使うイラスト作成でした」
「イラストを描けない?」という上司の言葉に応えて描いてみたら採用され、その日からきたみさんはイラスト用員となったのだそう。結局、その後1年くらいはイラストを描くことが仕事になってしまったのだと言います。漫画家きたみりゅうじはそれで誕生したのか!っと安易に思ってしまいますが、しかし、これはきたみさんにとって好ましいことではなかったのだとか。
「イラストを担当することで、PCを割り当ててもらえたことは嬉しかったですね。でも『プログラマとして頑張るぞ』と考えて入社したわけですし、イラストを描いているだけでは当然プログラマに近づけません。状況としては好ましくありませんでしたね」
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