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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第426回

業界に痕跡を残して消えたメーカー PCとHPCの中間でうまく立ち回ったPyramid Technology

2017年09月25日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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ハイエンドの方向に舵を切って失敗
経営情報システムにはオーバースペックだった

 このあたりから同社の方向性が少し怪しくなっている。Nile 150シリーズは性能的にMIS向けを超えてスーパーコンピューターの域に達してしまっており、それもあってNile 100でバランスを取ったのだと思ったら、逆にNile 150を大幅に超えるシステムを構築してしまった。それがReliant RM 1000というシステムである。

 プロセッサーは200MHz駆動のMIPS R4400であるが、これを2次元Mesh型で接続するというMPP(Massive Parallel Processing:超並列)構成になっている。テストされた最大構成は214ノード(各ノードにはCPU 1つ)で、この中にはNile 150も一緒に組み込まれていたようだ。

 下の画像がRM1000の最小構成で、1つの筐体の中に6つのプロセッサーノードと24のHDDが格納される。この筐体を積み上げる形でシステムは構築されたそうだ。

RM1000の最小構成。左右の背の高い、やや手前にはみ出しているのがプロセッサーモジュール、それに挟まれた小さいものがストレージモジュール。ホットスワップ対応だったらしい

マンハイム大学は48プロセッサーのシステムを導入したそうだ

 Nielシリーズなどでよりハイエンドの方向に舵を切った同社だが、状況はあまり芳しくなかった。有価証券報告書での決算値が見つからなかったので、1994年7月1日付の四半期報告書による9ヵ月分の決算を比較する。

Pyramidの1994年7月1日付の四半期報告書による9ヵ月分の決算
  1993年 1994年
売上 1億7300万ドル 1億6038万ドル
粗利 7472万ドル 5641万ドル
営業利益 5700万ドル -2128万ドル

 特にひどかったのが第2四半期にあたる1994年1月~3月の決算で、この期だけで1597万ドルの赤字を計上している。結局1995年1月9日、Siemens A.Gは同社に買収提案を行ない、同24日に買収が成立した。

 もともとSiemensは1994年同社の株を保有する一方で、Pyramidの持つMPPその他の技術のライセンスを受けており、これをベースにMeshineというコード名のシステムを開発すると報じられており、また1995年9月末までにPyramidの株の24%を保有する計画もあったため、それを前倒ししたというところだろう。

 買収金額は1株あたり16ドルで、合計2億700万ドルに相当する。先ほど説明したReliant RM 1000は1996年に出荷されたが、これはSiemens傘下になってからの出荷である。先の最小構成写真の左上に“Siemens”のロゴが見えるのは、そういった理由からだ。

 残念ながらSiemensはHPCマーケットに興味がなく、それもあってReliant RM 1000の後継製品は発売されないままとなってしまった。

 当時Siemensは傘下にSNI(Siemens Nixdorf Information Systems)という子会社(元はNixdorf Computer CorporationというコンピュータメーカーをSiemensが買収した)を抱えていたものの、サーバー市場でのシェアはほとんどなく、それもあってPyramidを買収した形だが、同社の傘下では改めてMISの市場に焦点を当てる形で1997年にSiemens Pyramid Information Systemとして分社化される。

 分社後は、引き続き200MHzのR10000を搭載した最大24プロセッサーのRM600シリーズなどを提供し続けていたが、2000年頃から消息が不明となっている。

 この時期なにがあったかというと、Siemensは富士通と合弁で、Fujitsu Siemens Computers(FSC)を設立しており、これにあわせて前出のSNIなどもFSCにまとめられてしまっている。おそらくはSiemens Pyramid Information Systemも、このタイミングでFSCに吸収されてしまったのではないかと思われる。

 冒頭の話に戻るが、なぜPyramidを思い出したかというと、知人が日本DECに新入社員として入って1年足らずで、そのPyramid Technologyに転職したからである。当時、日本にも支社ができたばかりの頃だったと記憶している。その後の消息は一切不明なのだが、今頃どこでなにをしているのだろうか。

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