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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 ― 第366回

業界に痕跡を残して消えたメーカー CPU設計に大きな影響を与えたDEC

2016年07月25日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 業界に痕跡を残して消えたメーカーの第9回は通称DEC、正式名称はDigital Equipment Corporationを紹介しよう。

Rainbow 100

 ちなみにアメリカでは、同業者には“Digital”で通用した。DECでは12月の略称になってしまうからだろう。

その後のCPUアーキテクチャーに
影響を与えたPDP-11

 DECは、日本のユーザーを見ると大きく3つに分けられる。1つ目がAIなどの研究に携わり、Lispを使っていた人、2つ目がUNIXで、PDP-11や初期のVAXなどを使っていた人。古い話になるが、旧ASCIInetの初期のホストもVAX-11/780だったと記憶している。

 そして3つ目が1992年以降のDECのPCを使っていたユーザーだ。おそらく人数としてはこの3つ目に属する人が国内では圧倒的に多いように思う。

 DECは1957年、マサチューセッツ州のメイナードで設立された。創業者はKen Olsen(2011年没)とHarlan Andersonの2人である。2人はマサチューセッツ工科大学のLincoln Laboratoryで、さまざまな研究に携わっていた同僚同士だ。

 当時Lincoln LaboratoryではTX-0と呼ばれる、半導体ベースのコンピューターにおけるプロトタイプ開発に成功、これを拡張したTX-2と呼ばれるマシンの開発に移行しつつあったが、Olsen氏ら2人はこのTX-0/TX-2をベースとした商用コンピュータの開発を行うことを決断、会社を興す。

 最初の製品は、TX-0/TX-2の設計をベースとした、Digital Laboratory Moduleなるものになった。顧客はこのモジュールを集めて自身のシステムを構築するというもので、その意味ではまだコンピューターメーカーではなかったことになる。

 他にもLINK(Laboratory INstrument Computer)と呼ばれる12bitの小規模システムがLincoln Laboratoryで開発されており、これの商用化もやはりDECが担った。

 ただ本格的にコンピューターメーカーとして認知されるようになったのは、1959年末にPDP-1を発表してからだ。PDPはProgrammed Data Processorの略である。

 最初の製品であるPDP-1は18bitアーキテクチャーで、4Kwordのコアメモリーを持ち、100K Operation/秒(100KIPS)の性能を持つシステムである。

 内部的には、先のDigital Laboratory Moduleを進化させたSystem Building Blockを利用していたが、全体としてはシステムの体をなしていた。

Computer History MuseumにおけるPDP-1とSteve Russell氏。Russell氏はマサチューセッツ工科大学に納入されていたPDP-1を使い、Spacewar!を開発したことで有名である

 このPDP-1の1号機を購入したのがBBNであることは以前も書いた通り。これに続き、同社は次々と新製品を投入する。これをまとめたのが下表である。

1988年~1993年の売上と営業利益
型番 出荷年度 価格 販売台数 特徴
PDP-1 1960年 120万ドル 50台 18bitアーキテクチャーの元祖
PDP-2   N/A ? PDP-1の24bit拡張版。プロトタイプのみ?
PDP-3   N/A 1台 PDP-1の30bit拡張版。ある顧客のみに製造・販売
PDP-4 1962年 6万ドル 45台 PDP-1の低価格版
PDP-5 1963年 2万7000ドル 1000台 12bitアーキテクチャー。LINKの置き換えを狙ったもの
PDP-6 1964年 30万ドル 23台 36bitの独自アーキテクチャー
PDP-7 1965年 7万2000ドル 120台 PDP-4の再設計版
PDP-8 1965年 1万8500ドル ~5万台 PDP-5の後継となる製品で、PDP-5への後方互換性に加えてLINCとの互換性を持つバージョンも追加された
PDP-9 1966年 3万5000ドル 445台 PDP-7の後継で、速度を倍に向上
PDP-10 1967年 11万ドル ~700台 PDP-6の後継というとやや語弊がある、独自36bitアーキテクチャー
PDP-11 1970年 1万800ドル 60万台以下 16bitの新規アーキテクチャー
PDP-12 1969年 2万7900ドル 725台 PDP-8の後継となる12bitアーキテクチャー。LINCとの互換性も保持
PDP-13   N/A   スキップされたため未発売
PDP-14   N/A N/A 12bitアーキテクチャーだがPDP-12とは異なったもの。産業用途向けに利用された
PDP-15 1970年 1万6500ドル 790台 PDP-9の後継となる最後の18bitアーキテクチャーマシン
PDP-16 1972年 N/A N/A 8/16bitの産業用途向けアーキテクチャー

 ちなみに価格や出荷年度、販売台数は“The Digital Equipment Corporation PDP-8 Frequently Asked Questions”の記述を基にしている。

 一番売れたのがPDP-11、次いでPDP-8となる。PDP-11はその後UNIXも移植され、日本でも結構な台数が稼動していたはずだ。

 またMotorolaの68000やインテルの8080以降のCPUアーキテクチャーに影響を与え、PDP-11用のRSX-11というOSで動いたPIPなどのコマンド(元々はPDP-6上で動作していたものがRSX-11にも移植された)はCP/Mでも採用されるなど、業界に影響の大きかったマシンである。

 PDP-8はこれに比べれば少ないが、同社としては低価格なシステムということもあり、よく売れた。なお、PDP-11の1万800ドルという価格は、最初のPDP/11-03のプロセッサーのみの価格なので、システム価格は概してPDP-8より高価である。

 ただこの2つ以外にも、例えばPDP-7はBell研究所におけるUNIXとC言語の開発、あるいはボストンのMGH(Massachusetts General Hospital:マサチューセッツ総合病院)で初の電子カルテの走りとでも言うべきMUMPS(Massachusetts General Hospital Utility Multi-Programming System)の開発がなされたことで有名である。

 またPDP-6やPDP-10は、機械語レベルでポインターを扱えるなど独特なアーキテクチャーで、特にLispの処理が他のマシンと比較して異様に高速という特徴があった。

 これもあり、最初のPDP-6はそれほどでもなかったが次のPDP-10(後にDECSYSTEM-10に改称)はAI系の研究所に多く販売され、さらにこの後継として1977年に投入されたDECSYSTEM-20は広く使われることになった。

 80年代にこのDECSYSTEM-20の販売中止が決まった時、日本でも駆け込みで何台か発注されたことを覚えている。

 また、昔パソコン通信をやっていた人だとご存知のKermit(蛙の方ではない)は、元はコロンビア大学に設置されたDECSYSTEM-20と接続するために同大学で開発され、広く普及したプロトコルである。このDECSYSTEM-20を大学や研究所で使っていた人は、まだ国内にもそれなりに残っていると思う。

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