このページの本文へ

前へ 1 2 3 次へ

ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第342回

スーパーコンピューターの系譜 後の超並列に影響を与えたBBNのButterfly

2016年02月08日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

 今回のスーパーコンピューターの系譜は、BBN Technologyが作り上げた2つのコンピューターを取り上げる。このマシンが、その後さまざまな超並列システムに影響を与えることになる。

The BBN Parallel Processor System。通称「Butterfly-1」

音響関係のコンサルタント会社が
コンピューターに傾倒

 BBN Technologyという会社は1948年に設立された。創立したのはマサチューセッツ工科大学の教授であったRichard Bolt博士とLeo Beranek博士で、後にBolt博士の教え子だったRobert Newman博士も加わる。

 当初は“Bolt and Beranek”なる、そのままの名前だったが1950年にNewman博士の加入にあわせて社名をBBN(Bolt, Beranek and Newman)に改名した。

左からBolt博士、Newman博士、Beranek博士。1957年の撮影

 Bolt博士とBeranek博士は共にマサチューセッツ工科大学で音響学に携わっており、Bolt and BeranekもBBNも、当初の仕事は音響関係のコンサルタントであった。

 具体的には、さまざまなホールの音響設備の設定から、航空機のノイズ分析、録音テープの解析など、音響と名がつくものはなんでも……は言い過ぎにしても幅広い分野の分析や解析のビジネスを手がけており、ビジネス規模もどんどん大きくなっていった。

 1948年に立ち上げたときは、マサチューセッツ工科大学の敷地の一部でひっそりと始めたのが、1949年に手狭になり外部に移転。1951年にもう一回引越しをし、数年後には引越し先のビル全体を占めるに至る(その後1957年にも引越し)。

 ロサンゼルスにもオフィスを開設したが、ここもあっというまにビル全体を専有したとか。1956年の時点で、フルタイムの従業員50人以外にパートタイム従業員多数がいたというから、けっこう盛況だったようだ。

 BBNに1957年に加わったのがJ.C.R.Licklider博士である。Licklider博士も音響学の専門家である。ところが彼はむしろコンピューターに傾倒しており、会社の方向もこれに向けて次第に変わっていく。

 1960年にはDECのPDP-1の初号機を購入し、これを改造して4ユーザーで利用できるTime Shareing Systemを構築。これをベースにした電子カルテシステムをマサチューセッツ総合病院に納入するという、音響とは違う方向に振れていく。

 特に1962年にからLicklider博士がARPA(Advanced Research Projects Agency:高等研究計画局)に引っ張られ、Information Processing Techniques Officeの長を務めることになってから、方向性が明確に変わってきた。

 Licklider博士は最終的に1964年にARPAから離れるが、博士が示したビジョンを具現化する形でARPANETの構築が始まる。

3種類の筐体をケーブルでつないだ
「Pluribus」

 1968年9月に、総額100万ドルでIMP(Interface Message Processor:今で言うところのルーター)の提案依頼書がARPAより提示された。当時BBNは本業である音響コンサルティングの分野でもすでにコンピューターを使い始めていたうえ、Licklider博士の影響もあってさまざまな開発を行なっていたこともあり、BBNはこのIMPの開発契約を獲得した。

 この第1世代のIMPは、Honeywell 316/516というミニコンピューターをベースとしたシステムで構築され、論文によれば35以上のサイトにこのHoneywellベースのIMPがインストールされた。

 ただARPANETは急速に拡大しつつあり、必要となるIMPの数はまだまだ増えるうえ、より高い性能が求められるようになった。そこで同社は、Honeywell 316/516より安価で、かつより高い性能を持つIMP用のシステムを自社開発することにした。これがBBN Pluribusである。

 パケット処理という観点では並列処理が多いため、システムの構成は必然的にマルチプロセッサーとなった。下の画像がその概略図であるが、I/Oチャンネルとメモリーがそれぞれ独立して設けられ、これとは別に複数のプロセッサーが用意され、間が相互接続されるという仕組みだ。

Pluribus。あくまで概念図なのだが、こんな不気味な絵にする必要があったのだろうか?

 これをもう少し細かく示したのが下の画像で、プロセッサーバス、メモリーバス、I/Oバスという3種類のバス(=それぞれの筐体)に、それぞれ目的のカードが装着される。バス同士はBus Couplerと呼ばれるI/Fで接続される形だ。

Pluribusには3種類の筐体があった。バスそのものはすべて、SUEで利用されていたINFIBUS(後述)がそのまま使われている

 プロセッサーそのものは汎用である。利用したのはLockheed Electronicsの16bitシステムであるSUE(System-User-Engineeredの略)で、INFIBUSと呼ばれるパラレルバスにCPUやメモリー、I/Oなどを装着して構成するもので、構造的にはAltair 8800とあまり変わらない。

SUEのフル実装状態の筐体。下に“SUE”というロゴが見える。この中に電源のほか16枚のカードが装着できる

 このSUEで利用されるプロセッサー「SUE Model 1110」は、16bitの汎用的なものだが、命令セットはDECのPDP-11互換である。

あまり凝ったことはしていない、60~70年代としては普通の構成

 動作速度は不明だが、すべての命令はアクセス時間60ナノ秒のROMに格納されるマイクロコード方式なので、クロックそのものは逆算すると16.67MHzほどだろう。性能はそれを示す資料が見当たらないのだが、当時としてはそこそこの範疇だったと思われる。

前へ 1 2 3 次へ

カテゴリートップへ

この連載の記事

注目ニュース

ASCII倶楽部

プレミアムPC試用レポート

ピックアップ

ASCII.jp RSS2.0 配信中

ASCII.jpメール デジタルMac/iPodマガジン