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歴史を変えたこの1台 第4回

リモートアクセスサーバの元祖を探る

日本をネットにつないだ影の立役者「Ascend MAX」

2009年05月07日 09時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp
Ascend MAX写真提供●サーバプロラボ・網元しめ鯖屋 別館

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アセンドはなぜ日本で成功したか?

 Ascend MAXよりも性能の高い競合製品が次々と登場する中、アセンドが勝ち続けた背後には、2つの巧妙な戦略があった。

 1つ目は、Ascend MAXシリーズでのPIAFSのサポートである。PIAFS(Personal Handyphone System Internet Access Forum Standard)は、PHSでのデータ通信規格で、当初32kbps、のちに最大64kbpsでのモバイル通信が可能だった。9600~14400bpsという当時の携帯電話の通信速度から考えれば、このPIAFSの速度は多くのモバイラーを魅了するものであった。

 Ascend MAXはこのPIAFSにいち早く対応し、ISPのPIAFS対応に寄与したのだ。もちろん、日本独自規格であったPIAFSへの対応を本国で了承させるには大きな苦難があった。「何度もプレゼンテーションし、ある意味本国を騙すような感じで、PIAFS対応を進めてもらいました(笑)。素晴らしいコードができましたし、きちんと数字もコミットしたので、騙したことにはならないのですが」と流氏は当時を振り返っている。

写真3 Ascend MAX 6000は6スロットを搭載し、デジタルモデムが収納できた

写真3 Ascend MAX 6000は6スロットを搭載し、デジタルモデムが収納できた

 そして、2つ目はユーザー認証システムであるRADIUSサーバのオープン化である。RADIUSというと、検疫ネットワークや無線LANの認証でよく知られているが、もともとはISPがユーザー認証や課金のために使っていたものだ。アセンドは、そのRADIUSサーバのソースコードを公開したのだ。「オープンソース」という言葉もメジャーでない当時、この戦略は実に画期的だったのはいうまでもない。

 その結果、「RADIUSをうまく使うには、開発元が出しているAscend MAXを使うのがやはりいいわけです。パートナーさんが公開されたコードをベースに拡張したRADIUSサーバを開発し、MAXといっしょに売ってくれたのです」(流氏)といった具合に、外堀を埋めていったのだ。

 そして1999年には、それまでインターネットアクセスの常識であった「従量課金制」から「定額制・常時接続」というパラダイムシフトが起こった。ここでもAscend MAXは大きな役割を果たすことになる。

 マーケティング担当だった伊藤敦氏は、「Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(プロモー ション)のマーケティングの4Pがすべてうまく揃っていたと思います。こんな会社はあとにも先にも始めてでした」とAscend MAXの快進撃ぶりをまとめてくれた。

ルーセントによる買収
そしてブロードバンド時代へ

 絶頂期にあった1999年。アセンド・コミュニケーションズは、約200億ドルでルーセント・テクノロジーズに買収される。アセンドはルーセント内のINS(InterNetworking Systems)部門として再編され、Ascend MAXやPipelineなどを販売していくことになる。

 とはいえ、2000年以降のブロードバンドの普及で、ISDNの需要は落ち、旧来のリモートアクセスサーバ自体の市場も縮小していった。すでにISPのダイヤルアップのアクセスポイント自体も少なくなっており、日本のISPの裏方として働いてきたAscend MAXシリーズの役割もそろそろ終わりつつある

 しかし、今回お話を伺ったメンバーにはいまだ熱いアセンドイズムが流れているようだ。最先端(Forefront)の一歩先という意味で名付けられた「ファイブ・フロント」という会社名に、それが現れている。

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