アセンドはなぜ日本で成功したか?
Ascend MAXよりも性能の高い競合製品が次々と登場する中、アセンドが勝ち続けた背後には、2つの巧妙な戦略があった。
1つ目は、Ascend MAXシリーズでのPIAFSのサポートである。PIAFS(Personal Handyphone System Internet Access Forum Standard)は、PHSでのデータ通信規格で、当初32kbps、のちに最大64kbpsでのモバイル通信が可能だった。9600~14400bpsという当時の携帯電話の通信速度から考えれば、このPIAFSの速度は多くのモバイラーを魅了するものであった。
Ascend MAXはこのPIAFSにいち早く対応し、ISPのPIAFS対応に寄与したのだ。もちろん、日本独自規格であったPIAFSへの対応を本国で了承させるには大きな苦難があった。「何度もプレゼンテーションし、ある意味本国を騙すような感じで、PIAFS対応を進めてもらいました(笑)。素晴らしいコードができましたし、きちんと数字もコミットしたので、騙したことにはならないのですが」と流氏は当時を振り返っている。
そして、2つ目はユーザー認証システムであるRADIUSサーバのオープン化である。RADIUSというと、検疫ネットワークや無線LANの認証でよく知られているが、もともとはISPがユーザー認証や課金のために使っていたものだ。アセンドは、そのRADIUSサーバのソースコードを公開したのだ。「オープンソース」という言葉もメジャーでない当時、この戦略は実に画期的だったのはいうまでもない。
その結果、「RADIUSをうまく使うには、開発元が出しているAscend MAXを使うのがやはりいいわけです。パートナーさんが公開されたコードをベースに拡張したRADIUSサーバを開発し、MAXといっしょに売ってくれたのです」(流氏)といった具合に、外堀を埋めていったのだ。
そして1999年には、それまでインターネットアクセスの常識であった「従量課金制」から「定額制・常時接続」というパラダイムシフトが起こった。ここでもAscend MAXは大きな役割を果たすことになる。
マーケティング担当だった伊藤敦氏は、「Product(製品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(プロモー ション)のマーケティングの4Pがすべてうまく揃っていたと思います。こんな会社はあとにも先にも始めてでした」とAscend MAXの快進撃ぶりをまとめてくれた。
ルーセントによる買収
そしてブロードバンド時代へ
絶頂期にあった1999年。アセンド・コミュニケーションズは、約200億ドルでルーセント・テクノロジーズに買収される。アセンドはルーセント内のINS(InterNetworking Systems)部門として再編され、Ascend MAXやPipelineなどを販売していくことになる。
とはいえ、2000年以降のブロードバンドの普及で、ISDNの需要は落ち、旧来のリモートアクセスサーバ自体の市場も縮小していった。すでにISPのダイヤルアップのアクセスポイント自体も少なくなっており、日本のISPの裏方として働いてきたAscend MAXシリーズの役割もそろそろ終わりつつある。
しかし、今回お話を伺ったメンバーにはいまだ熱いアセンドイズムが流れているようだ。最先端(Forefront)の一歩先という意味で名付けられた「ファイブ・フロント」という会社名に、それが現れている。
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