今回、歴史を変えたネットワーク機器として紹介するのが、無線LAN市場を切り開いてきたメルコ(現バッファロー)のAirStationシリーズだ。ブロードバンド接続とともに無線LANを身近にしたAirStationなしに日本の無線LANの歴史は語れない。
ここ10年で最大の技術革新
「無線LAN」の誕生
この10年間、ネットワークの技術でもっとも大きな革新は、ブロードバンドよりもむしろワイヤレス化の実現であろう。Ethernet自体が無線伝送を前提として開発されたという経緯を見ればわかる通り、ネットワークのワイヤレス化は当初から考えられていた。実際、Ethernetの無線版であるIEEE 802.11の規格も1990年代半ばに策定された。しかし、技術面やセキュリティ、コスト、なにより法規制の問題でなかなか普及にまで至らなかった。
AirStationのマーケティングを担当していた後藤宏聡氏は「工場などで有線LANが引けないから、しかたなく高いお金を出して引くというのが、無線LAN。価格も、親機(アクセスポイント)が20万円、子機(カード)が5万円という時代でした」と当時の状況を語る。
IEEE 802.11は、法規制により1チャネルしか使えなかったため、速度も最大2Mbpsにとどまり、オフィスや家庭で使えるというしろものではなかった。
この状況が変わったのが、1999年の郵政省(当時)の省令改正による2.4GHzおよび5GHz帯の開放だ。これにより、当時策定が完了した11MbpsのIEEE 802.11bと54MbpsのIEEE 802.11aで利用するチャネルを確保可能になったほか、アップルの「AirPort」(日本では商標権の問題で「AirMac」)のような海外の無線LAN製品も利用できるようになった。
おりしもインターネット接続もADSL導入が間近というタイミングであり、無線LANの需要は一気に高まると考えられていた。こうした状況で、以前から無線LANを手がけていたメルコ(当時)が投入した個人ユーザー向けの無線LAN製品が「AirStation」である。
後藤氏は「アップルのAirMacが追い風になって、市場が成長することは読めてきました。あとは、製品をとにかく使いやすくし、価格を落とすこと。なにより無線LANのメリットを訴求することで多くの人たちに受け入れられると思いました。いったん無線LANを使えば、便利で手放せないのはわかっていましたので」とAirStationのコンセプトを語る。
(次ページ、PCの近くに置かれない周辺機器)
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