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トヨザキ社長が選ぶこの本くらい読みなさいよ! 第5回

自分のキモメン度をチェックしたいなら

2007年08月24日 12時00分更新

文● 豊崎由美

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仕事に追われ「最近、小説を読んでないなぁ」と感じているビジネスマンも少なくないだろう。しかし、時として小説は未来を見据える先見力を養うのに、格好の教材となりうる。『文学賞メッタ斬り!』の共著者としておなじみの「トヨザキ社長」が、ビジネスに役立つオススメの一冊を贈る。

『悲望』
著者:小谷野敦

自分のキモメン度をチェックしたいなら

悲望

著者:小谷野敦
出版社:幻冬舎
価格:1575円(税込)
ISBN-13:978-4344013674

 女弟子との恋愛を夢みて散策してる最中、細君が難産で死んじゃえばいいのにって思う田山花袋の『蒲団』男。相手の女性が自分を愛してるかどうか、石を海に投げ水切りの回数で決めようとする武者小路実篤の『友情』男。生活力も智恵もないためにメシを石油で炊こうとする佐藤春夫の『田園の憂鬱』男。京都の美女に惑溺し金を貢ぎ続ける近松秋江の『黒髪』男etc.etc.

 IT系ビジネスマンの皆さん、近代文学読んでますか? ……って、読んでるわけありませんわねえ。でも、いわゆるアキバ系や喪男(もてない男性のこと)の源流ともいうべき「だめ男」の宝庫なので、案外読んでて身につまされたりもいたしましてよ。ただ、しかし、明治・大正・昭和初期の私小説作家には物足りない面もございますの。それは、自分のキモさに対する自覚の希薄さ。彼奴は自らの“存在の耐えられないキモさ”に正対してないんです。

 つまり、キモメンは何をしてもキモイんだし、イケメンは何をしてもイケてるという残酷な真理と、本当の意味では向かい合っていない。それが近代文学におけるだめ男諸君の限界だと思うんですの。その意味で、『もてない男――恋愛論を超えて』で知られる評論家・小谷野敦の初めての小説作品『悲望』は新しい! 私小説という古い革袋に、容姿至上主義があられもない形で表出した現代における生き地獄という新酒を入れ、うまいんだかまずいんだかわからない、そんなヘンテコな味わいの温故知新小説になっているのです。

 東京大学大学院生時代の著者の三年間にわたる片思いという“病理”の諸相を、冷静かつ赤裸々に振り返った作品なのですが、恋愛弱者の生態と心理がとてつもなくリアルに描かれていて、笑いながらも肝を冷やす、そんな読み心地をもたらすと思し召せ。

「学者か作家になり、書斎で仕事をしている私の部屋の戸を、その頃好きだった女の子がエプロンを掛けてとんとん叩いて、ご飯ですよ、と言う図を想像しては悦に入っていた」
「セックス、などというのは思いも寄らない話だった。(略)だが、するもしないも、おつきあいの段階にまで至らないのだから私には関係のない話だった」

 そんな身も心も童貞の語り手が、女性は執拗に言い寄れば口説けるという巷の噂を真に受け、篁響子という高嶺の花にアタック。どんなに拒絶されても諦めず、留学先のカナダにまで追いかけていくストーカー然としたキモイ片思いの顛末が綴られているのですが、そうした自身の危うさや気持ち悪さを作者自身が自覚した上で、明文化しているのがこの作品の面白さといえましょう。

「私は、中学生の頃から、自分を『ぼく』とは言わない。ところがこの時、意識して『ぼく』を使うようにした。それは、これから篁さんに『愛の告白』をするなら、その時は『ぼく』でなければならない、と思ったからでもある」
「(筆者註・篁さんにつきあっている人がいると聞いて)『あの……篁さん、こんなことになってしまって、本当に残念だけれど、私は、あなたが好きでした、ということを、一言言いたくて』(略)『本当に残念だけれど、もう少し早く出会えていれば、何とかできたかもしれないのに……』」
「自分を奮い立たせて書き上げた二枚程度の『ラヴレター』は、まるでピンク色の化物だった。『天秤座のあなたの天秤の片方にあなたの片思いがたくさん乗っているなら、もう片方に私の思いを乗せて天秤を水平にしてあげます』(略)翌日、正気に返った」
「あちらは、怖気を振るうばかりだろう。(略)けれど、それでラヴレター攻勢をやめるつもりはなかった。私は、彼女はまだ拒否の言葉を口にしていない、と自分に言い聞かせていた。そうである以上、私はこうした手紙を書きつづける権利がある、と」
「『あなたの手紙は、気持ち悪いんです!』『いや、最初のはひどかった、けど……』(略)『あなたの人格から出てるんです』人格を否定されてしまった」

 どうです? こんな程度の抜粋でも「私」の気持ち悪さはわかっていただけましょうし、作者の小谷野さんがどれだけ真面目に己のキモさと正対し、相対化しているかが伝わるのではないでしょうか。で、IT系ビジネスマンの皆さんに質問です。あなたの中に『悲望』男は絶対にいないと断言できますか? この小説は容姿格差社会における貧者の悲憤を描いて、少なくとも(やはり貧者の)わたしには黒くて苦い笑いと共感を伴う秀作だったのですが、はてさて、あなたにとっては――。

豊崎 由美(とよざき ゆみ)

1961年生まれのライター。「本の雑誌」「GNIZA」などの雑誌で、書評を中心に連載を持つ。共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(PARCO出版)と『百年の誤読』(ぴあ)、書評集『そんなに読んで、どうするの?』『どれだけ読めば、気がすむの?』(アスペクト)などがある。趣味は競馬。

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