仕事に追われ「最近、小説を読んでないなぁ」と感じているビジネスマンも少なくないだろう。しかし、時として小説は未来を見据える先見力を養うのに、格好の教材となりうる。『文学賞メッタ斬り!』の共著者としておなじみの「トヨザキ社長」が、ビジネスに役立つオススメの一冊を贈る。
『ニューヨーク・チルドレン』
著者:クレア・メスード
勘違いで身を滅ぼさないようにしたいなら
IT系ビジネスマンの皆さんにおかれましては「野心」についてどうお考えでらして? トヨザキは、この問題に関しては慎重でありたいと思ってるんですの。そりゃ、人間、向上心は大事だと思いますよ。今ある自分より、明日の自分が少しでも良くあれと努力を欠かさない人は尊敬に値します。けどね、何事もほどほどにってのが楽しく生きていくコツなんじゃないかとも思うわけで。身の丈に合わない野心を抱いてバタバタしてる人は端から見れば滑稽だし、そういう野心はいずれ身を滅ぼすんじゃないでしょうか。
というわけで、今回紹介したいのがクレア・メスードの『ニューヨーク・チルドレン』なんですの。主な登場人物は6人。テレビ番組のディレクターをしている30歳のダニエール。書きかけの本を抱えているセレブ美女のマリーナ。そんな2人の学生時代からの親友でゲイのジュリアス。マリーナの父で著名なジャーナリストのマレー。大学をドロップアウトしたマリーナの従弟ブーティ。革命的な雑誌を創刊して、ニューヨーカーに挑戦状を叩きつけようと思っているオーストラリアのカリスマ編集者シーリー。物語は彼らのプロフィールを伝える章からさりげなくもゆるゆると滑り出すんですが、ブーティが憧れていた伯父マレーを頼ってニューヨークにやってくるあたりから、それぞれのドラマは一気にクライマックスへと向かっていくんです。
努力によって現在のキャリアをつかみ取ったものの、愛情生活の面では敗北者になりつつあるのではないかという不安を覚えているダニエール。偉大な父にふさわしい娘でありたいという思いで視野狭窄に陥っているマリーナ。映画や小説を批評するライターとしてそこそこの成功を収めているのに、ヤング・エグゼクティブな彼氏を見つけた途端「家庭に入りたいという願望」を実現させるべく、親友のマリーナやダニエールと疎遠になってまで相手に尽くし始めるジュリアス。
30歳を迎え、これまでの生き方を見直さざるを得ない現実を前にとまどっている3人が経験する恋愛、結婚、別れ、キャリアに対する不安と自負、互いに抱く複雑な感情を、わずか8カ月間という短いタームの中に描いていくこの小説は、とってもアクティビティが高いんです。ほとんどの人物がよく喋り、よく動き、そして欲望に対して貪欲。そう、あたかもニューヨークの街さながらに。
で、この3人の中でもっとも痛い存在がマリーナであるのは言をまちません。ちゃんと職について両親から独立したらどうかとアドバイスするダニエールに向かって、「マレー・スウェイトの娘であることがどんなものか、あなたにわかりっこない。(略)働くのが“わたしのため”だというだけでつまらない仕事をするなんてごめんだわ。(略)陳腐な言い方だけど、わたしは影響を与えたいの。書くことで。なにか重要なことを書きたいのよ」とのたまうマリーナこそ、冒頭でわたしが書いた身の丈の合わない野心に押し潰されそうになっている滑稽な人。こいつときたら、実家にいる時は、パパを現人神(あらひとがみ)のようにあがめてたくせに、マレーのような著名人に敵愾心を燃やすシーリーに惚れると、今度はその厭ったらしい自信家に心酔。自分というのもがどこにもないカラッポ女なんですの。
そんなバカ女を骨抜きにするシーリーっつーのがまたとんでもない野心家で、自分を現代のナポレオンだと言い切る奴なんです。でも、端から見れば、すでにニューヨークで成功してる人間をやっかみ、闇雲な敵意をぶつけているだけのオーストラリアの田舎もん。「2ちゃんねる」で有名人の悪口を書いてる連中と似たりよったりの安っぽい自尊心を、教養で武装してるだけのつまんない男なんですの。ま、パソコンの前で悪意を垂れ流すだけで、自分を表現するすべを探さない連中よりは、雑誌創刊という行動で自分の能力を世に示そうとする分マシといえばマシですが。
そういうやたら行動的でけたたましい登場人物の中にあって、不思議な存在感を示すのが、台風の目のごとき不穏な静けさを身にまとったブーティです。内気で内省的、しかし能面のように表情のない顔の下に、自分を天才と信じて疑わない異様な自尊心を隠し、ペンによる父殺しならぬ伯父殺しによって、みんなをあっと言わせることを夢みる19歳。この少し病的な青年が、シーリーのネガ的存在であるのは言うまでもありません。両者は共に野心を抱いてニューヨークに乗り込むも、望みを挫かれ一時撤退を余儀なくされるのですから。トヨザキ想像いたしますに、2ちゃんねるでカキコミをしてる皆さんにとって、ブーティはきっと親近感のわくキャラでございましょう。どこにでもいるんですね、そういう輩って。おほほほ。
自分を特別だと思い込んでいる彼らの物語もまた、ニューヨークに有象無象と存在する野心をめぐるありきたりな一挿話にすぎないと示唆する、著者のシニカルな筆致が◎。人間ドラマとして読ませるのはもちろん、これは成功という甘い罠で人を惹き寄せては手ひどい挫折を味わわせる街、ニューヨークの罪深き魅力を描いて刺激的な都市小説でもあるんです。IT系ビジネスマンの皆さん、マリーナやシーリーやブーティを反面教師に、ほどほどの野心を胸に抱き、黙って仕事に邁進いたしましょう!
【編集部からのお知らせ】
豊崎由美さんの「トヨザキ社長が選ぶ この本くらい読みなさいよ!」は今回が最終回です。4月から豊崎さんの新連載が始まります。お楽しみに。
1961年生まれのライター。「本の雑誌」「GNIZA」などの雑誌で、書評を中心に連載を持つ。共著に『文学賞メッタ斬り!』シリーズ(PARCO出版)と『百年の誤読』(ぴあ)、書評集『そんなに読んで、どうするの?』『どれだけ読めば、気がすむの?』(アスペクト)などがある。趣味は競馬。
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