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石井裕の“デジタルの感触” 第1回

石井裕の“デジタルの感触”

原点としてのそろばん

2007年07月15日 23時51分更新

文● 石井裕(MITメディア・ラボ教授)

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そろばんとの出会い


 私が初めてデジタルの感触を知ったのは、2歳のときだった。

そろばんと幼少時代の筆者

そろばんを持つ幼少時代の筆者

 そのころの写真で筆者が左手に握っているのが、初めて触れたデジタル計算機の原型、そろばんである。そろばんをつかんでふり回したときの、手触りと音色、そして想像力をかき立てる形は、子どもだった自分を夢中にした。いま思うとあのとき既に、私は現在の研究テーマである「Tangible Bits(タンジブル・ビット)※1」の基本的着想を得ていたのかも知れない。

※1 「Tangible Bits」は、人間とビット(デジタル情報)、アトム(物理的世界)の間をシームレスにつなぐためのアプローチ。デジタル情報に物理的な実体を与え、人間の手で直接操作できる

 そろばんの形と感触は、子どもだった私にそれを使ってどんな面白い遊びができるかを、自然な形で教えてくれた。マニュアルを読む必要はなく、そろばんはごく自然に、楽器となり、電車となり、孫の手となった。デジタル情報の物理的表現であるそろばんの珠の感触を手や背中に感じながら、私は遊んだ。

 遊び道具であると同時に、そろばんはコミュニケーションのメディアにもなった。東京の小さなアパートで母がそろばんを使って家計簿をつけているとき、そろばんの奏でる音楽は、いま母に遊んでとせがむには良くないタイミングであることを子ども心にも理解させてくれた。これは後の「Ambient Media(アンビエント・メディア)※2」のコンセプトにつながっている。

※2 人間は無意識のうちに環境からさまざまな情報を受け取っている。フォアグラウンドで認知の中心にある「Graspable Media(グラスパブル・メディア)」、すなわちつかめるメディアに対して、「Ambient Media」は認知の周辺で情報の気配を伝える環境的なメディアと位置付けられる



入出力が一体化したそろばんのインターフェース


 何故そろばんなのか。

 10進数という情報は、そろばんの珠とその位置関係により物理的に表現される。10本の指でその珠に直接触れ、情報を操作・計算できる。大人になって再びそろばんを手にしたとき、私は情報表現と操作手段が密に結合した物理的インターフェースの明快さ、直接性に大きな魅力を覚えた。なぜならば、そのインタラクションの作法は、Macintoshに代表される「GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)」とは対極にあるからである。

 そろばんの持つ直接性、メカニズムの透明性、そして触れる喜びを、複雑化・汎用化の極みに達しつつある混迷した現在のヒューマン・コンピューター・インターフェースに持ち込めないか? その問いが、私のタンジブル・ビット研究の出発点となったのだ。


(次ページに続く)

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