このページの本文へ

まつもとあつしの「メディア維新を行く」 第101回

〈前編〉エクラアニマル 本多敏行さんインタビュー

アニメーター木上益治さんの遺作絵本が35年の時を経てアニメになるまで

2024年03月23日 15時00分更新

文● まつもとあつし 編集●村山剛史/ASCII

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

“7人の野武士”がアニメスタジオを立ち上げる

まつもと まさに。印象に残っていらっしゃるエピソードはありますか?

本多 あにまる屋は木上くん含め7人の仲間で立ち上げたんです。みんな大酒飲みでした。なにせ大みそかから元旦までのあいだに1人一升から二升ずつ飲みましたからね。水上温泉に社員旅行に行ったら途中で旅館から、「すいません、もうお酒がなくなっちゃいました」って言われたり。

 あまりに飲むので当時サンライズの高橋良輔さん(『装甲騎兵ボトムズ』監督など)が、「アイツらろくな死に方しねえぞ」って冗談言ってました(笑)

 そして酒と同じくらいプロレスが好きでした。木上くんはアントニオ猪木さんが大好きでね、寿司屋で酒を飲んでいたときに隣の席にいた奴が、「プロレスなんて嘘だよな、八百長だよ!」とかなんとか言ってたんですよ。そしたら彼の目がピカッと光って、「もう一度言ってみろ」。

まつもと 血気盛んですね。みなさん若かった。

本多 周りからは野武士集団と言われました。新人は40kgのバーベルを上げられないと入れない。「絵がうまくてもダメだ」って。

身体を鍛えるために社屋の隣にトレーニング用のスペースを借り、若い頃はバーベル100kg(!)を上げていたとのこと。あにまる屋は肉体派アニメーター集団でもあった

本多さんが身体張って演じた動きがルパンやコナンに

まつもと シンエイ動画時代は『パンダコパンダ』で宮崎駿さんと一緒にやっていますね。

本多 ちょうど1972年に田中角栄首相と周恩来首相が握手をしてパンダが来たタイミングの作品ですね。

まつもと 世はまさにパンダブーム。

本多 宮崎さんは当時、『長くつ下のピッピ』という絵本をアニメ化しようとキャラクターデザインをしていたんです。そんななかで「パンダものをやれ!」といきなり東宝が言ってきたものですから、キャラクターの原型は『長くつ下のピッピ』向けに温めていたものをアレンジした感じで。宮崎さん、高畑勲さんとは『ルパン三世』でも一緒でした。

 8ミリフィルムのカメラを持って多摩川までポーズを撮りに行ったりしましたよ。現代のようにスマホで簡単に撮れないし、参考資料も乏しいので。宮崎さんや大塚康生さんが「本多くん、ちょっとそこでポーズとってよ」と。

まつもと では、当時の本多さんの動きがアニメになっていたことが結構あるはずだと。

本多 『未来少年コナン』でも、さすがに壁を走って落ちてなんてことまではやらないけれど、宮崎さんからポーズとってよと。私としてはそっちのほうが面白いんですよ。

 そして撮った8ミリフィルムを参考にしながら描くわけですが、宮崎さんはうまくてね。あるときは足のほうから描き始めたので理由を聞いたら、「歩幅が合う」って。立ち位置なんて引かず、一発で描いちゃうんだ。

■Amazon.co.jpで購入

大塚康生さんと宮崎駿さんに教わったこと

まつもと 近年のドキュメンタリー映像では宮崎さんが厳しく「こんなの鳥じゃない!」とか言ってアニメーターに戻したりするじゃないですか。本多さんにもそういった厳しい指導があったのですか?

本多 私の場合はまず大塚さんの指導を受けました。『巨人の星』で“星飛雄馬の顔が燃えていって真ん中から穴が空き、下から花形満が出てくる”というシーンがあったのですが、私が何回描いても大塚さんはごみ箱にドサッと捨てちゃうんですよ。

 確か4回目くらいで、「もう勘弁してくださいよ」と言ったら、「ちょっと見てみな」と動画用紙を1枚取って、おもむろにライターで下から火を点けたんです。

 すると真っ白い紙の真ん中に黒い点が1個ポンと出る。そしてその黒点がバーっと広がっていき、やがてメラッと穴が開く。「“燃える”ってこうなんだよ」と。

 対して私は、サーカスのライオンがくぐる火の輪みたいに、きれいに順に送って描いていました。大塚さんは「こんな燃え方はしない」と教えるために、職場の真ん中で紙に火を点けることまでしてくれたんです。

まつもと すごいですね……。

本多 忘れられませんよ、やっぱり実際を通じて学べということを教えてくれたんだと思います。今でも頭にこびりついて離れないです。

 また、『パンダコパンダ』で女の子が卵焼きを作るシーンを描いていたら宮崎さんが、「油の跳ね方が違う」と。実際にやれと言われて、これまた何回も卵焼きを作って試してはみたものの、悩みました。私はアニメーションをあまり知らないので、跳ねた油の粒をやはり丁寧に順を送って跳ばしていたんです。

 でも宮崎さんは、「もっとランダムにビャーッとなる。無茶苦茶で良いんだ」と。言われてみればそうなんだけれど、当時は教わった基本をそのままやる頭しかなかったんです。結局、卵焼きをいっぱい食うハメになっちゃいましたね(笑)

■Amazon.co.jpで購入
  • パンダコパンダ杉山 佳寿子、熊倉 一雄、太田 淑子、山田 康雄、瀬能 礼子、宮崎駿、宮崎 駿

カテゴリートップへ

この連載の記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ