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オヤジホビー-ワタシが好きな物はみんなも好き、かもしれない- 第288回

米海兵隊創立230年の記念品はピューリッツァー賞写真がモチーフ

2021年07月18日 17時00分更新

文● むきみ(@TK6506) 編集● ASCII

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硫黄島の星条旗のオブジェ

 アメリカ海兵隊創立記念日記念品紹介シリーズ第3回のラストはオブジェ。2005年、創立230年の記念品です。

2005年の記念品は、報道写真の『硫黄島の星条旗』を立体化した置物です

 モチーフとなっているのは「Raising the Flag on Iwo Jimaー硫黄島の星条旗」と題された有名な報道写真。第二次世界大戦末期の1945年2月23日に東京都硫黄島村(現在の小笠原村)硫黄島で撮られた写真です。

「Mt.Suribachi」は撮影された摺鉢山、日付は撮影日です。こちら側が元になった写真と同じアングル

台座の裏側には2005年第230回を表す「1775-2005 USMC 230 YEARS」の文字

 撮影したのはAP通信の従軍カメラマンとして現地に赴いていたアメリカの写真家ジョー・ローゼンタール氏。島で一番高い摺鉢(すりばち)山に海兵隊員がアメリカ国旗を掲げようとしている姿を収めました。

 撮影後すぐに現像&プリントされたこの写真はニューヨークのAP通信によって配布され、2日後には多くの新聞に掲載されました。その反響は凄まじいもので、瞬く間に何百何千という出版物に転載されたそうです。

 そして撮影からわずか2ヵ月後にはピューリッツァー賞写真部門を受賞。同賞は本来は前年に発表された写真のみが対象となるので、特例中の特例です。しかも同年の唯一の受賞という点からも、注目の高さがわかります。

 その後も戦時国債の応募ポスターや切手に採用されたり、写真を元にした映画が作られたり、海兵隊創立以来の戦没者を追悼するためバージニア州のアーリントン国立墓地に建てられた海兵隊戦争記念碑のモチーフになったりもしています。

掲揚しなおした星条旗

 この写真が撮影される4日前の2月19日、硫黄島に上陸したアメリカ海兵隊員と、日本軍の守備隊との間で大規模な戦闘が開始されました。アメリカ軍が予定していた5日間をはるかに越え、同年3月26日まで続いた硫黄島の戦いです。

 アメリカ側の作戦名はOperation Detachment。2月16日に艦船による砲撃が始まり、19日に第4・第5海兵師団が上陸を開始しました。21日には予備兵力とされた第3海兵師団も上陸し、激しい戦闘が続く中、23日朝に第5海兵師団が摺鉢山の山頂に到達。制圧したことを味方に知らせるため、5人の海兵隊員と海軍下士官1名が、落ちていた日本軍の鉄パイプに28×54インチ(約71×137cm)の星条旗を括り付けて掲げました。

 ところがこの旗、山の上に立てるにはちょっと小さ過ぎたらしいんですよね。摺鉢山は高さ560フィート、170mと低い山なんですが、それでも遠くからだと見えなかったとかで、5×8フィート(約152×244cm)という大きい物に交換することになりました。今度は海兵隊員6人が掲揚を行ない、ローゼンタール氏の写真はこの2回目の掲揚の時に撮られたものだそうです。

旗を立てている6名の海兵隊員

 写真に写っているのは次の6名の海兵隊員です。

・Michael Strank軍曹
・Harlon Block伍長
・Harold Keller伍長
・Franklin Sousley一等海兵
・Harold Schultz一等海兵
・Ira Hayes一等海兵

旗竿の根元に1人、2列目と3列目の両側に2人ずつ、後ろに1人の合計6名います

先頭と左側にいる2番目の人は旗竿の根本を差し込もうとしていて、そのほかの人たちは旗を立てようとしているようです

 一番前で旗竿の根元あたりにいるのはHarlon Block伍長。旗竿の右側にいる2人は、前がHarold Schultz一等海兵で、後ろがFranklin Sousley一等海兵。左側の2人は前がHarold Keller伍長で、後ろがMichael Strank軍曹。一番後ろにいるのはIra Hayes一等海兵です。

 実はこの6人、名前が確定したのはつい最近のことで、記念品が作られた2005年当時はこのうち2名が別人と間違えられていました。2016年6月23日と2019年10月17日の2回、アメリカ海兵隊が修正を発表しています。

長年間違えられていた2人

 2016年に6人のうちの1人と判明したのは、旗竿右前にいる人物。ずっと海軍二等衛生兵のJohn Bradley氏とされていたのですが、調査の結果、Harold Schultz一等海兵であることがわかりました。John Bradley二等等衛生兵は最初の旗を立てたメンバーの1人だったのに、何故か2回目の旗を立てた人になっちゃってたらしいです。

 2019年にわかったのはHarold Keller伍長。なぜか2人ともハロルドさんですね。2018年7月に3名の民間歴史家から、旗竿の左側にいる人物は間違っているのではないかとの指摘があり、前後の写真など数十枚の資料写真の提供を受けて調査が始まったそうです。

元の写真では写っていない反対側。左から2人目がHarold Keller伍長

 元の写真と新たな証拠写真を現代の技術で解析し、調査のためにFBIまで参加して審議された結果、それまでRene Gagnon一等海兵とされていた人物が実はHarold Keller伍長であると判明しました。旗竿に重なる形でヘルメットがチラッと見えているだけなので、特定が難しかったようです。ちなみにGagnon一等海兵は伝令兵で、交換用の大きい旗を現地に届け、最初の旗を大隊の副官に戻すように命じられていた人だったとのこと。それもまた重要な役目ですよね。

 また、この2人だけでなく、写真が発表された当初は一番前にいるHarlon Block伍長も別人に間違えられていました。Henry Hasen軍曹とされていたのが1947年1月に訂正されています。結局、最初の時点では6人のうちの半分が人違いだったわけですが、それだけ現地が混乱していたという証拠かもしれません。なお、このHenry Hasen軍曹もJohn Bradley二等衛生兵と同じく最初の旗を立てたメンバーのひとりだったそうです。

 近年になって間違いがわかったのは画像解析技術の向上や新しく発見された資料などのおかげですが、古い写真なのに多くの人的リソースと丸1年以上という時間をかけてでも調査するっていうのは凄い話ですよね。海兵隊がいかにこの写真を重要と考えているかが垣間見える気がします。

キャンプ富士のマークも入っています

 台座の底にはフェルトが貼られ沖縄の地図が描かれていました。

底面には沖縄の地図と在日アメリカ海兵隊の部隊名のほか、「Camp Fuji」の文字とマークも

 III MEF、MCB、1st MAW、3d FSSG、3d MAR DIVは前回のメダルの裏側に書かれていたものと同じで、沖縄駐留のアメリカ海兵隊の部隊名です。

 メダルと違うのはCamp Fujiの文字。キャンプ富士は富士山の麓にある陸上自衛隊の東富士演習場に隣接しているエリアで、実弾射撃訓練場や兵舎、食堂、消防署、医療施設などのほか、ジムや図書館などもあるそうです。右にある富士山と鳥居を組み合わせたイラストはキャンプ富士のマークです。これが入っているのは珍しいかもしれません。

箱にはニミッツ海軍元帥の言葉が

 記念品の外箱は何も書かれていないか、あっても海兵隊のマークや部隊名、年や回数、モットーなどなのですが、このオブジェの箱は珍しく文章が書かれていました。

箱にはいつもの海兵隊マークや年、回数などのほか、ニミッツ海軍元帥のスピーチの一節が書かれていました

 「Iwo Jima」の下に書かれている“Where uncommon valor was a common virtue”。これは当時のアメリカ太平洋艦隊司令長官であり太平洋地域の総司令官でもあったニミッツ海軍元帥の言葉から取られたものです。

 1945年3月17日の「CINCPAC communiqué No. 300ー太平洋軍総司令官 声明 NO.300」で、硫黄島の戦いに勝利したと述べ、その最後に「Among the Americans who served on Iwo Island, uncommon valor was a common virtue.」と書かれていました。「硫黄島で戦ったアメリカ兵の間では、並外れた勇気はごく普通の美徳であった」のような意味で、「uncommon valor was a common virtue」というフレーズはアーリントンの海兵隊戦争記念碑の正面にも刻まれています。

 下の方にある「In honor~」は、これも海兵隊戦争記念碑の碑文で裏側に刻まれているもので、「1775年11月10日以来、自国に命を捧げてきたアメリカ海兵隊の男性と女性を称え、記念して」のような意味。ただ、この文章はオリジナルとはちょっと異なり、「men and women」のところは碑文では「men」となっています。時代や現状に即して変えたのかもしれないですね。

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