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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第434回

業界に痕跡を残して消えたメーカー ミニコン開発に奮闘したData General

2017年11月20日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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ポータブルマシンでも失敗

 問題はここからである。MV/8000やNOVAシリーズは引き続きOEM向けを中心に出荷を続け、1981年には10万台の出荷を記録している。また1979年からはIBMから来たRobert C. Miller氏が上級副社長として就任し、1982年からは同社の3つの部門を彼が仕切るようになる。彼の下で、Data Generalは製品ポートフォリオの充実を図る。

 ただ彼のリーダーシップの下、オフィス向けに1984年に投入したData General/Oneは、控えめに見ても成功とは言えなかった。

Data General/One。手前に見える黒い箱はヘイズの携帯用電話カプラー、その右にあるのがモデムである。黄緑のものは電池パック

 持ち運び可能な構成で、4MHzの80C88と128KBのDRAM、11インチのモノクログラフィックLCD(最大で640×256ピクセル)のマシンは2895ドルで発売されたものの、ポータブルというにはあまりに大きく、重量は9ポンド≒4Kgと重かった。

 それにも関わらず取っ手がないので抱え込んで運ばないといけなかったり、LCDが見ずらかったり、いろいろデザイン上の難点を抱えており、価格の高さもあってほとんど売れなかった。

 それでも諦めずに、高輝度LCDを入れたり、HDDを内蔵したりと毎年バージョンアップを繰り返すものの、1987年に出た最終モデルですらCPUは80C88の4.77MHzのままで、力不足感は否めないまま終了になった。

市場の変化への対応が遅れたうえ
MotorolaのCPUを採用する最悪の決断を下す

 もっと根本的な問題は、市場の変化である。1970年代は、言ってみればOEM先がプログラムを書くことを前提とした売り方で問題なかったが、1980年代に入るとOEMではなくエンドユーザーに対して直接マシンを売る機会が増えてきた。

 ところがこうしたエンドユーザーはプログラムを書きたいのではなく、アプリケーションソフトを使いたいと考えてマシンを導入したわけで、Data Generalはこうしたアプリケーションソフトの提供やサポートの能力が、この時点まで非常に足りなかった。

 それでもCEO(Comprehensive Electronic Office)と呼ばれる、ワープロや電子メール・ファイリングなどをパッケージにしたオフィス向けソフトを提供したりしたものの、競合に比べて優位性があるというほどのものでもなかった。

 またこの新しいトレンドは、従来のやり方になれた同社の営業担当者には苦痛だったようで、多くの有能な営業担当者がこの時期に同社を去っている。

 それでも1984年に大きな売上を記録できたのは、米国森林局やF.E.Hutton(有名な株式仲買会社)に大規模システムを納入したからであるが、Castro氏はこの景気が一時的なものではなく、今後も続くと予想。新たに3000人もの従業員を増やしたが、そこまで売上は伸びなかった。

 しかも、DECに代わる新たな強敵が現れた。UNIXワークステーション、そしてPCである。1985年にはSun-3が登場し、そしてインテルは80386の出荷を開始している。もちろん当初のこれらのシステムは、特に拡張性に関してはMV/8000やその後継機にはおよばなかったものの、性能と価格性能比はずっとよかった。

 さらにUNIXが普及するようになると、これをサポートしていないだけで市場から締め出されかねなかった。Data Generalはこの市場に参入できる製品がなく、しかも好景気を期待して従業員や製造設備を増強した結果、純粋に運用費用だけが増えるという高コスト体質に生まれ変わってしまった。

 この結果が1986年以降の赤字転落である。打てる手は全部打った。まず1987年にMiller氏が辞任、さらに1987~1988年に相次いで1000人規模のリストラを行ない、製造設備も2ヵ所閉鎖している。

 またUNIX市場に対しては1989年にAViiONというUNIXベースの製品ラインを投入するが、こともあろうにこのAViiONはMotorolaの88000を採用するという最悪の決断をしてしまう。

 しかもこの88000を16CPU搭載したAV/9500や32個搭載したAV/10000というNUMA Serverまでラインナップするが、Motorolaが88000の製品ラインを廃止してPowerPCに乗り換えた結果、Data Generalはこのラインをi386、後にPentium Pro/Pentium IIベースで再構築するという羽目になる。

 しかもそこまでしても市場シェアはほとんど取れなかった。そもそもx86のサーバーは激戦区であり、すでに多くのメーカーがそこで激しいシェア争いをしている状況では、同社の強みはないも同然だったからだ。

 それだけでなく、Data General全製品を合わせても、1989年末の市場シェアは0.9%までに下落していた。1987年にCastro氏は赤字の責任を取ってCEOは辞任していたが、その後の回復も見込めないという結果に1989年に取締役会議長も辞任、完全に同社を離れる。

 後任のRonald Skates氏は、より一層のリストラとコストダウンに励み、この時点ですでにMV/8000の後継製品は事実上終了した形になる。彼はまずAViiONのラインに研究開発費を集中させ、これもあって1991年には一時的に回復するものの、1992年以降は再び赤字に沈み込むことになる。再度リストラが激しく行なわれ、1991年5月には子会社だった日本データゼネラルも4600万ドルで売却されている。

最後の最後で
ストレージアレイがヒット

 この苦境を救ったのは、またしてもTom West氏であった。彼が手がけていたストレージアレイのシステムは1992年にCLARiiONという名前で発売された。おもしろいのは自社だけでなく、IBMやSun、HPなどさまざまなベンダーのマシンと接続して利用できる構成になっており、どんどん売上が沈んでいくAViiOnのラインナップを尻目に、CLARiiONはどんどん売上を伸ばしていく。

 結局Data Generalは2002年1月に株式交換の形でEMCに買収される。買収額は11億ドル相当であり、買収後CLARiiON以外の製品ラインはすべて廃止された。EMCはこのCLARiiONの製品ブランドを、2012年まで利用していた。

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