このページの本文へ

JAWS-UGの生みの親が実践した「自走するコミュニティ作り」とは?

AWS卒業の小島英揮さんがJAWS-UGの舞台裏を語り尽くす

2016年09月01日 09時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

自走するコミュニティに脱皮するきっかけだった「あのイベント」

 東京リージョンの開設以来、全国規模に拡大してきたJAWS-UGの1つのターニングポイントは2013年に行なわれた「JAWS Festa Kansai」だった。

 JAWS Festa開催の背景は、2013年の春に行なったJAWS DAYSを端を発する。JAWS-UGを盛り上げるコミュニティイベントとして開催したJAWS DAYSだったが、セッションのアジェンダやオーガナイズは主にAWS側で企画したイベントだった。

「もともとJAWS-UGはAWSがコントロールすべきものではないのは理解していました。とはいえ、AWS側としての意図もあって、JAWS DAYSでもよかれと思っていろいろやってしまった。今となっては間合いがよくわかってなかったんですが、やった後に『自分たちでドライブしている感がない』『結局、AWS Summitと同じになってしまうのでよくないのではないか』という声がコミュニティ側から出てきたんです」と小島さんは振り返る。

「『自分たちでドライブしている感がない』という声がコミュニティ側から出てきたんです」(小島さん)

 もっと自分たちで聞きたいセッションを作りたい、もっと企画の時点からイベントを動かしたいというJAWS-UG側の声。この結果、生まれたのが京セラドームの一角を使って実施したJAWS Festaだ。JAWS Festaでは会場の手配から告知、企画、運営までをすべてAWSのサポートなしでJAWS-UG側でやりきった。しかも、動員面でも大きな成果を得た。これを境に、JAWS-UGはベンダー色が減り、コミュニティ側にオーナーシップが移っていった。「まさにコミュニティ側からアンサーソングをもらった感じ。JAWS-UGは自分たちでコンテンツは作れるし、人を呼べることが理解できた。一方で、ファシリティに限界があることも理解してくれた」(小島さん)。

 その後、AWSとJAWS-UGが話し合った結果、JAWS DAYSでは会場とネットワークをAWS側で準備し、コンテンツをコミュニティ側で作るという今の形が確立した。一方、発端となったJAWS Festaは会場から含め、すべてがJAWS-UG側で行ない、年に1度地方で開催するという形になった。JAWS Festaでは地方のエンジニアが主役になることで、JAWS-UG全体のレベルが大きく底上げされることになった。

「初回のJAWS Festaが大阪開催だったことが功を奏しているんですけど、JAWS Festaでは地方のコミュニティが全国のAWSユーザーをホストする役割を持ち回りで行なうことになったんです。現在のJAWS-UGは東北のメンバーも多いけど、これはJAWS Festaの2回目を仙台でやったからだと思います。自分たちが回す側になったことで、主体性もインフルエンスも大きくなって、彼らの存在が大きくなった。自走できる人がすごく増えていく仕組みなんですよね」(小島さん)

 もはやAWSJ側がリーダーを見つけなくとも、自走できるようになったJAWS-UG。AWSのサービスが増えたことで生まれた専門支部の隆盛も、まさにこの流れにあった。「AWSJの承認を取らなくても、自分たちでドライブしていいんだという人が増えてきた。いろんな思い込みや障壁がこの時期になくなり、自主的にリーダーが生まれ、各支部のリーダーをロールモデルとして新しいリーダーが決まるという流れができた」と小島さんは語る。

JAWS-UGを拡大させるためにAWSがやってきたこと

 AWSJではJAWS-UGのカルチャーを醸成するのにも、陰に陽に気を配ってきた。たとえば、「技術だけの勉強会は必ず行き詰まる」という懸念から、なるべく間口を広く持つよう長らくコミュニティ側に働きかけてきたという。「技術勉強会になると敷居が高くて、採用の人やプロジェクトのリーダーなどが入ってこられなくなる。テーマ設定は自由だけど、技術者以外を排除するようなものは避けるべきとリーダーの方にも訴えてきた」(小島さん)。この結果、JAWS-UGでは今でも初心者向けのプログラムがさまざまな支部で積極的に行なわれる一方、技術レベルが高い内容は勉強会の特定の回や専門支部が担当するという棲み分けが存在している。

 また、支部同士が連携して全国規模で活動している点もJAWS-UGならではの面白さだ。支部同士の連携に関しては、大きなイベントの前後にリーダー同士でミーティングを行なう機会を設けてきた。「お互いのコミュニティが横に並んで成長するというのが理想的。50支部あって、いろんなところがトライ&エラーをしてくれているので、お互いの活動をキャリブレーションするオフラインの場を作ったんです」と小島さんは語る。

 一方、外資系ベンダーとして、コミュニティの活動をいかに本国に伝えていくかも大きなテーマだった。コミュニティを支援する原資を作り出すのも、AWSJの大きな役割。これに対して数値化しにくいコミュニティの盛り上がりをさまざまな方法で伝えてきたという。「AWSJがやってきたのは、米国にユニークなJAWS-UGの活動を報告し、実際に見てもらしたうよう働きかけたこと。JAWS DAYSやJAWS-UG Nightのような大きなイベントにはエグゼクティブにきちんと来てもらう。この結果、CTOのヴァーナー・ボーガスも米国での会議で、JAWS-UGは素晴らしいと言ってくれるようになった」と小島さんは語る。

カテゴリートップへ