電卓を発売し大ブレイク
Popular Electronicsの1971年11月号で、MITSは満を持して電卓「MITS-816」の解説記事を掲載する。このMITS-816はキットが179ドル、完成品は275ドルという価格であった。
比較対象になるかどうか微妙だが、当時マクドナルドのビッグマックの価格は50セントである(日本のマクドナルドでは当時200円だったとか)。もっとも電卓そのものが当時は非常に高価だったため、これを考えれば破格といっても良かっただろう。
これに続き、MITSは1974年までに合計16種類の製品を発売する。全部少しづつ仕様が異なっており、形態(デスクトップ/ハンドヘルド)、表示桁数(6~14桁)、特殊関数(科学技術計算、%、メモリー)などさまざまで、価格も49.95ドル(MITS-1206、キット)から419.95ドル(MITS-7400、完成品)まで幅があった。
この電卓のビジネスにより、同社の1973年3月の売り上げは10万ドルに達したという。従業員は180~200人に増え続けており、これに向けて会社も1万平方フィートのビルに転居するなど、上り調子であった。
とはいえ、こうしたビジネスにはコピー商売が付き物である。MITSのビジネスの成功を見て、この市場が儲かることを理解したメーカーがすぐさま価格競争を仕掛けてくるのは避けられない。
Bowmar Instrument CorporationやTIは、1971~1972年にかけて120ドルの低価格製品を市場投入する。この影響は単に最終製品に留まらなかった。
TIはこうした低価格製品を製造するため、TMS0100ファミリーという電卓の機能に特化したICを製造するが、ここにNS(National Semiconductor:現TIのSilicon Valley Division)やRockwell Semiconductor(現Conexant)などが競合するようなICを投入するなど、叩きあいが激化し、泥沼に陥る。
最終的にこの争いはTIが制することになったが、そのTIも1975年には電卓部門だけで1600万ドルの赤字を出している有様である。当然ながらMITSもこのビジネスで利益を出すのはほとんど不可能になっていた。
この後MITSはしばらく測定機器などの製造に携わるが、こちらはそもそも市場規模が小さいため、電卓の時ほどの売り上げは期待できなかった。
そこで同社は株式公開を図るが、悪い事に1973年のオイルショックの影響で、50万株を公開しようとしたものの、実際には25万株しか公開できなかった。
1974年末の時点で、社員は20人まで減っており、30万ドルの負債を抱えていた。この状況の打開にむけて、同社はパーソナルコンピュータの販売を目論む。
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