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バンドマンからIT業界ダイブ、柔道整復師、オルターブースの起業まで

元ヌンチャクのベース小島淳が挑む「クラウドでもやってみよう」

2016年01月18日 07時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp 写真●曽根田元

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Microsoft Azureを中心にしたWeb開発を手がける福岡のオルターブース。同社を立ち上げた小島淳さんは、柏のハードコアバンド「ヌンチャク」のベースからIT業界にダイブ。その後、柔道整復師の資格を取得しつつ、フリーランス、そして起業に至るという経緯を持つ。小島さんの「やってみよう」な半生を振り返る。

ハードコアバンドのベースからCOBOLプログラマーへ

 異業種からの転職が多いIT業界だが、バンドマン、MSP事業者のコンサルティングマネージャー、柔道整体師を経て、ITベンチャーを率いる立場になった小島さんのキャリアは特に変わっている。

 10代の時は千葉県柏で活動していたハードコアバンド「ヌンチャク」でベースを担当していた。1993年に結成されたヌンチャクはDEATH FILEやSWITCH STYLEとともにKCHC(柏シティハードコア)シーンの代表格として知られており、ツインボーカルで歌い(叫び?)あげられる同胞感の高い歌詞と地を這う重低音で高い人気を誇った。

 実はヌンチャクの活動の中で小島さんはMacを使って、デジタルの導入やWebサイトの立ち上げなど、IT関連の作業を一手に担っていたという。「当時からITに強かったんです。ヌンチャクも当初はドラムもいなかったので、ドラムマシンを使って、オケ作ってました。今でこそMan with a Missionしかり、Mad Capsule Marketsしかり、デジタルとハードコアが融合していますが、元祖は自分だと思ってるんです」と語る小島さん。インダストリアルの先を見据えたその片鱗は、ファーストアルバム「ヌンチャク」のDTM度の高い最終曲にも現れている。

オルターブース 代表取締役 小島淳さん。ヌンチャク時代からITには強かったという

 その後、3枚のアルバムを残し、1998年に「飽きたから」という理由でバンドは解散。次のステップとして、小島さんが考えたのはITと音楽関連の仕事だった。「就職氷河期でディスクユニオンの電算部とか、ことごとく落ちた。Macが使える仕事ということで入ったITアウトソーシング会社で、音楽関連の会社に出向して、黒い画面にコマンド打ってたら、COBOLのプログラムだった(笑)」という経緯で、IT業界に入っていくことになる。

 出向先は音楽関連の会社なのに音楽関連の仕事ではなかった。しかも、好きなMacではなく、Windows PCすらない。そんな環境ながら、小島さんは仕事を続けていくうちにITの面白さが少しずつ理解できてきたという。「棚卸しの仕組みを自動化するプログラムをCOBOLで書いた。帳票ではなく、CD-Rに出力するそのプログラムだったのですが、これが大喜びされて、しかも売れたんです」と小島さんは振り返る。

 プログラミングにも才があった小島さんはメインフレームを中心にマネージャーやコンサルティング職を歴任し、金融系システムのプロジェクトマネージャーにまで上り詰める。「茅場町、日本橋、大手町の大手金融機関は全部行きました」という小島さんは、数々のプロジェクトでマネジメントやコンサルティングスキルも身につけていく。

 当初はアセンブラ、C、COBOLをメインでやっていたが、2007年頃にOSSをやりたいということで、スカイアーチネットワークに入社。技術職の統括であるコンサルティングマネージャーを務めてきたという。「ITの企画やってたり、LINEスタンプやデザイン作っている人はいますけど、周りを見る限りバンドマンからエンジニアになった人はいないですね(笑)」と小島さんは語る。

柔道整復師の資格を取得したのになぜ起業?

 こうして長らくIT業界を渡り歩いてきた小島さんだが、業界の先行きに対する憂いがあったという。「ユーザーやスタッフがけっこう病んでいる状態だったので、なんとかしたいと思った。当時の師匠に医療系の仕事を勧められたこともあり、整骨院を開くための柔道整復師になろうと考えた」と小島さんは語る。

 会社を辞めた小島さんは、案件の関係で足繁く通っていた福岡に移住。フリーランスのITエンジニアとして仕事をこなしつつ、学校に通って柔道整復師の国家資格を取得することにしたという。「脱臼や骨折などの整骨方法や実際の柔道。西洋医学のカリキュラムは看護師とほぼ同じです。柔道整復師の合格率も低いし、卒業もけっこう難しいです」とのことで、フリーランスのITエンジニアと国家試験の受験生という二足のわらじをここ数年履いてきた。

 しかし、ユーザーコミュニティでつながりがあった藤崎優さんとの出会いで起業が可能になった。「もともと千葉県民同士だし、音楽好きだったので話があった。そのうちいっしょにやろうと言っていたら、たまたま大きな案件がとれてしまった。試験勉強で忙しかったから、藤崎に任せたらうまくやってくれたので、起業することにしました(笑)」と小島さんは語る。藤崎さんも「とにかく楽しいです。意思決定も速いし、8ヶ月で今までの3年分くらいの仕事をやってるんじゃないかと思います」と語る。

 千葉県民ながら、すでに福岡にはなじんでいるようだ。仕事と取材のために東京に来た二人は「東京で9時から18時まで仕事するのは、けっこうつらい。会社たどり着くまでにへとへとになって、家帰っても疲れて寝るだけなんて幸せなはずがない」と声を揃える。その点、福岡は街がコンパクトで通勤も楽。「9時から気持ちよく仕事でき、18時に気持ちよく帰れる。9時から18時まで仕事を満喫できる。これが福岡の最大のメリット。物価も安いし、海の幸・山の幸が堪能できる」と、都内での勤務を長らく経験してきた小島さんは実感している。

(次ページ、スタートアップ支援と医療従事者向けシステムの2本の柱)


 

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