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Startup Asia Tokyo 2014

風呂なし四畳半でも300億円企業のCEO

2014年09月09日 07時00分更新

文● 講演● アドウェイズ 岡村 陽久 文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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3万円の風呂なし四畳半に住んでいた


――金融危機の時代はどうだったのか。

 直近の危機は2007年。2006年に上場して半年後くらい、最大の顧客であるカード会社が、客からとれる金利が30%から20%に下がったのをきっかけに、広告収入が半減してしまった。主力顧客だったので売り上げがどんどん落ちた。アドウェイズとしてそんなことはもちろん予測していなかったので、2007年4月入社の社員を大幅に増員する計画もしていた。日本・中国あわせて200人の会社だったが、150人の新卒をとる予定だった。急成長を前提に経営を進めていたので大量採用しておかないと成長についていけないんじゃないかと思ったが、途端に売り上げが下がってしまった。利益は下がって、経費は倍増した。ベテランクラスの社員は給料上がらないんじゃないかというので転職しはじめてしまった。新卒は残ったけど教育もできないし、事業の運営もできないし、アドウェイズがパニックになったことがあった。

――社長自身が風呂なし四畳半に引っ越したと聞いたが。

 役員報酬は8割カットして、前年分の住民税を払える分だけもらった。それでも家賃が払えないというので当時の管理部に風呂なし便所共同の四畳半を探してきてくれと言って。まさか新宿にあるとは思ってなかったが本当に管理部が見つけてきちゃった。「あっ……ああ、じゃあ、よかった」と。

「あっ……ああ、じゃあ、よかった」

――家賃はどれくらいだったのか。

 3万円だった。

――どれくらい住んだのか。

 なんだかんだ2年くらい住んでいた。

――かなり長いが。

 業績が復活したときに「アドウェイズの岡村さんが四畳半に住んでいるらしい」という話が広まってしまい、引っ越しづらくなってしまった。

――記念館として保存しておいてはどうか。

 そうしたい。

――困難はどう乗り切ったのか。

 当時はかなりいろんな事業に参入していた。主力のアフィリエイト広告に特化しよう、新規事業は中止しようというので一気に撤退して、優秀な人材を広告事業に集中させた。

――リストラはしたのか。

 一切やってない。異動していただいた。

――集中すべきところに人をはりつけたわけか。

 ほかの会社がどうやってるかは分からないが(会社の方向転換まで)3カ月~半年までかかると思う。けど、うちは「明日から広告1本でいくぞ」と話しをした。みんなの心がひとつになった。ほんとはいろんなことやりたいけど、アドウェイズが復活しないと新しいことできないから、とにかく業績復活を目指そうと。危機感があったから心がひとつになって復活できたと。

――当時の新卒はいま30歳くらい。強い社員が育っているのではないか。

 いまの主力幹部はそのとき入社した社員が多い。入社した瞬間に赤字だったので「入社してすいませんでした!」から始まってる。そんなところを見てるから困難に強い社員が育った。

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