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Startup Asia Tokyo 2014

風呂なし四畳半でも300億円企業のCEO

2014年09月09日 07時00分更新

文● 講演● アドウェイズ 岡村 陽久 文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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2014年9月4日「Startup Asia Tokyo 2014」より、日経産業新聞 篠原洋一編集長によるインタビュー。アフィリエイト広告を中心に、昨年度315億円の売上高を出したアドウェイズ。岡村 陽久CEOはサイバーエージェント藤田 晋社長に影響を受けて起業した。だが一時期は苦境に立たされ、2年間に渡って風呂なし四畳半に住んだこともあった。


――埼玉県出身で、高校を2カ月で中退したということだが。

 父親は高校教師だったが「高校になるべく行くな」と言っていた。反抗期だったので「だったら行くよ」と言ったが、行ってみたら中学とおなじようなもので嫌気がさした。

――サイバーエージェントに興味を持ったのはなぜか。

 2000年、20歳のときにサイバーエージェントが上場した。インターネットが世界を変えるという話を聞いた。当時は換気扇のフィルターを飛び込みで売る仕事をしていたが、もうフィルターなんて売ってる場合じゃないな、というのでインターネット業界に入ろうと思った。当時わたしはインターネットがよく分かっておらず「インターネット=サイバーエージェント」くらいに思っていたので、インターネットの仕事をやりたければサイバーエージェントに入らなければならないと思っていた。そうして3回くらい申し込んだが断られた。さすがに3回目にはインターネットのことも分かってきたので、入社できないなら自分でやろうと思った。

――申し込むのではなく、直接(藤田 晋社長に)行こうとしたという話を聞いた。

 2回申し込んで断られたので、人事の方じゃ話が分からないというので直接社長に会って話をしようと思った。社長の机にしがみついてやろうと思ったが、なかなか会えなかった。入り口が3つあったので3日間待っていたが、それでも会えなかった。

――会えたらどうしていたか。

 しがみついていたと思う。給料はいらない、経費も自分で負担する、いつでもクビにしてくれていいという条件を書いて渡そうとしていた。

――起業後、藤田社長には会ったのか。

 上場したとき話をした。藤田社長は(面接のくだりは)知らなかったということで。

――藤田社長からすれば、逃がした魚は大きかったのではないか。

 いや全然。ぼくみたいなのは(サイバーエージェントの)社風に合わないから。

――会社を興すのはエネルギーが必要だが、どう準備したか。

 当時はパソコンさえ触ったことがないような時代だったので、まずパソコンを買うところから始めた。インターネット自体に接続するのに本当にもう1週間くらいかかった。テレビのアンテナがついてればインターネットにもつながるものだと思っていた。IBMさんに電話して「アンテナついてるのにインターネットつながんねーじゃねーか」と言った。そこからインターネットの企業さんが何をしているのか徹底的に研究した。ウェブページにバナーを貼りつける事業が流行っていたので、他社がウェブならメールでクリック型広告をやろうと考えた。

――早いタイミングでアフィリエイト型に進んだ。ガラケーからスマホに移るのも早かった。先を読む力はどう身につけたか。

 読めているようで読めてないところが大きい。たまたま事業がうまくいったので先を読めているという話になる。小さくいろんな事業に挑戦しているというのが大事。

――ガラケーからスマホへの変化についていけなかった企業もあるが。

 わたし自身もスマートフォンは使いづらかった。フィーチャーフォンのほうが使いやすい時代だったので「こんな使いづらいケータイ使うわけねーだろ」という話をしていたが、アメリカに役員が行ったとき、スマホのビジネスが伸びてるというのを聞いて帰ってきて「スマホやんないとアドウェイズつぶれる」という。そりゃ大変だというのでスマホに移したという話だった。

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