ラブメール、内容証明、阪神淡路大震災
遠藤 印象に残っていることというと、ぼくの周りであったのは、庶務だった女性がメールソフトで「今度の日曜空いてます、オッケーです」みたいなことをスタッフ全員に返しちゃったということ。「このグループ全員に返信」みたいな機能があったんですよ。で、2日後に女性から「この間のメールは××さんへのメールでした」というメールが来る。ぼくなんかは素直に「ああ××さんなんだ」と思ったけど、実際本人に聞いてみたら「俺は身代わりなんだ」。パソ通ってそういうことできるんだと。彼女はオレらより“進んでた”わけ。
山本 当時のパソ通ってほとんど男性メインだったですよね。オフラインミーティングとかそういう言葉ができたのはそのころで、ほとんど男なんですよ。そこに理系っぽい女性とかが来ると奪い合いになるところがあるんですよね。すごいみんなの空気がアガりますからね。砂漠みたいなところにサボテンみたいなのが生えてるとみんな群がってくるけど、さわってケガしてるみたいな。そういうの見てるだけで面白かったですよね。
―― 山本さんが印象に残っていることは“内容証明”……ですか?
山本 大学2年生のころだったんですけど。ぼく、パソ通を実名でやってたんですね。自分の住所名前電話番号書いてたんですよ。
―― ムチャクチャですね。
遠藤 銀行口座書いてる人もいたよ。「振り込みたい人振り込んでください」って。
山本 そう。で、パティオ(ニフティサーブの電子会議室サービスの1つ)にいりびたってたことがあって、その会議室で変わってるヤツにどんどん罵声を浴びせてたんですけど、本人が怒っちゃって。その人が内容証明送ってきたってことがありました。法律の知識まったくなかったんで勉強して、送り返したんです。そのあとは何も言ってこなかったですね。
―― それがそのあと役に立った?
山本 立ちましたね。
―― 阪神淡路大震災が印象に残ったという話がありましたが、どうでした?
山本 大震災特設会議室みたいのができたんですよね。そこに被災者の人たちが集まってた。みんな被災地からどうやってアクセスしてたのかはわからなかったんですけど、もう根性でISDNつないでましたよね。当時電話が通じなくて、3日に1回届くメールだけが支えだったとか、そういう方もいらっしゃったと思いますよ。
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といったところでトークライブは終了。パソコンからスマートフォンに変わり、Webサービス全盛の時代になっている現在も、日本人のオンライン文化は80年代から変わっていないことがよくわかった。これからさらに30年後、日本のインターネットはどう変わるのか、あるいは変わらないのか。それが楽しみになってくるライブだった。