先日、ベータ2日本語版が配布されたWindows XPだが、今業界では「Windows XPは“カイロ”だった」のではないかと噂されている。
どういうことかというと、「Windows XP」の『XP』をギリシャ文字として読むと、発音が『X』は「カイ」、『P』は「ロ」となる。つまり、『XP』は「カイロ」と読めるわけだ。
「カイロ」(Cairo)とは、かつてMicrosoftが開発していたNTカーネル搭載の分散オブジェクト指向OSの開発コード名で、1993年12月に開催された「Microsoft Professional Developers Conference」でデモンストレーションが行なわれた。
画面1 PDCでデモされた「Cairo」のデスクトップ。この画面は、ビデオテープから落としたもの |
この時のPDCで、一躍有名になったのが、開発コード名「Chicago」、つまり「Windows 95」だったのである。
画面2 1993年12月に開発者向けに配布されたWindows 95(開発コード名Chicago)のデスクトップ。よく見ると、この最初の開発者向けリリースには「スタートメニュー」がなかった! |
当時“Chicago”のリリースは1994年後半とされていて、その前にWindows NTとWindows NT Advanced Server(NTのネットワーク拡張バージョン)を統合した“Daytona”のリリースも予定されていた。
Windows路線の最高峰である“Cairo”は1995年にリリースの予定だった。“Chicago”の持つ機能に加え、Windows NT本来のネットワーク機能を強化し、「Object File System」と呼ばれる新しいファイルシステムを採用すると言われていた。つまり、“Chicago”のスーパーセットということだ。
“Cairo”では、分散オブジェクト環境が提供され、その管理能力はネットワークによって接続された他のマシン上にあるオブジェクトやCPUにも及ぶと言われていた。OS自体が、コンポーネント(部品)の集合体であり、任意のコンポーネントを選択し、組み合わせて利用できるようになるはずだった。
当時のMicrosoft社のWindows戦略は、オブジェクト指向をキーワードに、個人ユーザー指向の“Chicago”路線とサーバ指向の“Cairo”路線が微妙に絡み合いながら展開されていく形であった。
当時、PCやワークステーションを問わず異なるマシンの上で同一のOSが稼動し、さらに異なるOSの上で稼動していたアプリケーションがそのまま利用できる。アプリケーションがハードウェアやOSを選ばず、プログラムファイルやデータファイルなどという区別を必要としないプラットフォームを、Microsoftは目指していたわけだ。
当時目指していたものが、現在では「Microsoft.NET」になったと言えるかもしれない。それを考えると、「Windows XPは“カイロ”だった」という噂にも信憑性がある。しかし、でき過ぎだ。