オープンソースがオープンであることの意味
本誌編集部「Linuxは自由に改変できたわけですけど、それは逆に言えば、どう改変していくかということも、全部自分で考えなければならない。それがたとえばオラクルが指針を示したりすると、努力目標ができるわけだから、これは方向性として進みやすいものが与えられたという考え方ができるわけですよね」風穴「それはできるでしょうね。最近で言うと、マインドクラフトが発表したベンチマークテストの結果が、結局Linuxコミュニティーにとってみれば、どこが弱点かっていうのを明らかにしてくれたっていうことで、非常にプラスだったと思います。そういう課題を突き詰められるたびに発展していくわけだから、それはなかなか興味深いところですよね。
そういう意味では、Linuxコミュニティーが傍らからコミュニティーとして見えているうちはダメなのかもしれない。だって、わからないというイメージがあるじゃないですか。もっとも、歴史的にはコミュニティーとして身を寄せ合わないとダメな時期っていうのが確かにあったわけですけど。けっこういじめられてたから(笑)」
本誌編集部「どういうところからいじめられていたんですか?」
風穴「Free BSDの人たちから。いまでこそLinuxのほうが有名になっちゃいましたけど、その昔は全然、本当に亜流も亜流だったんです。Free BSDはUNIXの名前を引き継いでいましたしね。技術的に見ても、Linuxは途中までネットワークの機能とかなかったんですからね」
本誌編集部「UNIX系なのにスタンドアローン」
風穴「技術的にもマイクロカーネルとか先進機能なわけでもないし。だから、コミュニティーでやっていたことは、歴史的には役割があったんです。でも、たしかにいまは転換点を迎えていて、Linuxとして大きくなるためには、コミュニティーの中で何やってるのかわかんないと思われているようじゃダメでしょうね」
本誌編集部「大企業がLinuxで食っていこうと思ったら、それは決して個人用のLinuxパッケージを作ることではなくて、サーバーとかの大掛かりなシステムにガンガン導入してもらって、そのサポートでガンガン儲けるっていうビジネスになるんですよね?」
風穴「そうですね」
本誌編集部「それって、Linuxコミュニティーの人たちが夢見ていることとは、方向性が一緒ではないということになりますよね?」
風穴「そうでもないですよ。他人に対してトップダウンで何かするってことは、あまりないですから」
本誌編集部「そっちはそっちでやってくれと(笑)」
風穴「なかには、企業がLinuxをやると、そうそう公開しないんじゃないかっていう危惧を抱く人はいるでしょう。でも、それもごく一部の急進的な人だけでしょうね」
東京・新宿で夜明けまでバトルロイヤル
本誌編集部「ところで、8月21日に新宿のロフトプラス1で開催する東京サミットでは、どういう話題を取り上げるんですか?」風穴「なんかテーマはついていたような……。私もよく知らないんですけど(笑)」
吉岡「スタイルとしては前回と同じですか?」
風穴「そうですね、今回は朝の4時まで会場を借りてますんで」
本誌編集部「初めから4時までできるようにしたと(笑)」
風穴「もう、朝まで(笑)。あと、ディストリビューションが増えてるんで、その話題にも触れたいですね。前回は話題を盛り込みすぎちゃったんで、全部が全部中途半端に終わっちゃったんです。それをもっとじっくりやりたいですね」
本誌編集部「また入りきれなくなっちゃうんじゃないですか?」
風穴「そうなんですよお。それ、どうするのかな?」
吉岡「整理券方式でも取るんですかね(笑)」
清水「そうしないと本当に収集つかないですよ。
日刊アスキー編集部 清水久美子氏。Linux 専門サイト立ち上げのために、日刊アスキーに異動したascii24の元編集者。鴻(こう)一点。この対談では、対談者の写真を、会話の段落の間に、割り込ませている。清水氏が、奥床しく諸先輩を立てて、発言を短くしているため、写真を入れる個所を探すのに苦労した。この奥床しさでは、編集部の床に、徘徊するゴキブリを押しのけて寝転がることはできないだろう |
吉岡さんは前回、何時間前から行ってらっしゃたんですか?」
吉岡「私はほんの30分ぐらい前でしたけど、全然ダメでしたね」
風穴「実は、あんまりお客さんにたくさん来てもらうと困るというか、面白くなくなっちゃうんですよ。本当はみんなでガヤガヤやって、会場からもガンガン言う人が来ないと面白くないんですよね。そういう意味で、どうしようかなと。まるっきり先着順にしちゃうと盛り上がるものも盛り上がらないかもしれないから」
清水「でもあんまり囲い込みすぎると、閉鎖的だって批判されちゃいますよ」
突然なんか世界が変わっちゃった感じ。衝撃的だったNetscapeの『モジラ』
本誌編集部「ところで、吉岡さんがLinuxに興味を持たれたのはいつごろなんですか?」吉岡「米国に赴任したとき、'95年だから4年ぐらい前ですね、私が何を欲しかったかっていうと、インターネットのコネクションが欲しかったんですね。自分でウェブのサーバーを立ち上げたいなって思っていたんですよ。その当時、ドメインを取ったら自分でサーバーを立てなければいけないなと、ずっと勘違いしていたんですよ。ホントは必要ないんですけどね。
それで勘違いしていたときに、サーバーを立てるとしたらとりあえずUNIX系のフリーなOSかなと思って、米国の友だちに何か適当に見繕ってよと頼んだら、LinuxのCD-ROMを20ドルぐらいで買って来てくれたんです。
そのとき、JEかなんかが一緒にくっついていたんで、うまくすると漢字が出る。“おお、漢字、漢字、すごいな”、とか言って(笑)。それが原点なんです。
で、昨年の10月ぐらいにOracle8のLinux版が出たんで、とりあえず家でも入れてみようかなっと思って、Red Hatを入れてみたら、すぐできちゃったなと。それがキッカケなんですよ」
本誌編集部「オープンソース自体には、それより前から興味があったわけですよね」
吉岡「オープンソースという意味で言えばNetscape Navigator、『モジラ』ですね」
本誌編集部「ご自分のサイトで、“モジラの解剖”を書いてましたよね」
吉岡「仕事的にはGDB使ってたり、Emacs使ってたり、GCC使ってたりしたから、毎日毎日使ってるわけですよ。それはもう何年も前だけど。だけどオープンソースというムーブメントに非常に注目したのはNetscapeからですよね」
本誌編集部「シリコンバレーにいたときは、オープンソースのユーザーグループとか、そういう会にもけっこう出られていたんですよね」
自分の飯のタネを公開するなんて
吉岡「シリコンバレーのLinuxグループ(SVLUG)には出ていましたね。それまでもフリーソフトウェアのことは知ってたんだけど、自分とあんまり近くないというか、お客さん的な関わり方でした。だけどやっぱりモジラは衝撃でしたね。“とてつもないことが起こっているぞ”、と。どうしてかっていうと、ずっとソフトウェア会社に勤めていて、自分の飯のタネを公開するなんて絶対あり得ないと、どう考えてもあり得ないと思いますよね。それがNetscapeによって、あんなに簡単にコロッと、突如ソースコードが出てきて、そのソースコードを持ってることなんて実は大した価値じゃないんだよっていうことを突きつけられてみると、ソフトウェアを売る側の人間としては、とてつもないことだと感じましたね」
清水「そのときは周りの反応はどんな感じでしたか?」
吉岡「“Netscape、気が狂ったか”って感じですよね(笑)」
本誌編集部「米国でもやっぱりそうだったんですねえ」
吉岡「うちの会社(オラクル)では、こんなことはとうていできないよっていう論調が8割以上ありました。だけど、個々のエンジニアにとってみると、なんかちょっとワクワクするねっていうか、面白いねっていうレベルで楽しんでましたね」
本誌編集部「本当は見れないはずのものが見れてしまった喜びみたいなのですね」
吉岡「そうですそうです」
本誌編集部「吉岡さんは日本DECにいらっしゃって、COBOLの日本語化とか、文字コードのほうにかかわっていましたよね。そういう日本の中ではハイレベルのエンジニアでさえ、モジラを見るまでオープンソースというのを考えたことがなかった。これは日本でも米国でも変わらなかったんですかね、モジラが出るまでは」
吉岡「フリーのソフトウェアという意味では、ずーっとあったわけですよ、GNUの世界でね。で、GNUが優秀なプログラムだったことはみんな知ってたわけです。でも、“あれはストールマンっていう天才が作ったからすごいんだ”ってことで、話がちんまり終わっちゃうんですよ。彼はもう例外中の例外なんだから、まあいいやってね。
日本オラクル株式会社 吉岡弘隆氏。オラクルでプリンシパル・エンジニアを務める吉岡氏は、この8月に発売された『Oracle8i最新テクノロジガイド』(弊社刊)の共著者でもある。 |
だけどオープンソースっていうのはそうじゃなくて、普通のプログラマーが寄ってたかってグワーッてやってるうちに、何となくどんどん発展していって、すごいものができちゃうっていうプロセスは、決してGNUの世界ではないんですよね。それに私は気が付かなかったわけですよ。プロダクトとしてのLinuxとかプロダクトとしてのApacheとかはずっと知ってたんだけど、そういう流れがあるっていうことに全然気が付いてなかったですね。それを気が付かせてくれたのが、Netscapeのモジラなんでしょうね。あれ、びっくりしましたね。突然なんか世界が変わっちゃった感じで」
モジラの評価は難しいが、オープンソースムーブメントはモジラが原動力に
本誌編集部「そういう意味では、モジラがLinuxに与えた影響っていうのもあるんでしょうか?」吉岡「Linuxっていうか、オープンソースっていうものをビジネスマンが発見するキッカケを作りましたよね」
本誌編集部「それが'98年、去年だったわけなんですね」
風穴「それは基本的には逆なんです。Netscapeがモジラのソースコードを公開したのは、Linuxを見たからなんですよ。もっとも、もとはLinuxなんですけど、いろいろなエンジニアにあっと思わせるビジネスモデルがあると思わせるに至ったのは、やっぱりモジラですね。行って帰って来たというか。オープンソースムーブメント自体はたしかにモジラだと思います」
本誌編集部「ちょうど去年の終わりから今年の前半ぐらいにかけて、インテルがRed Hatに出資してからガーッとLinuxが盛り上がったという背景には、実はモジラがあったということなんですね」
風穴「モジラの評価は難しいですよね。成功したのかどうかっていうのが」
吉岡「プロダクトとしては、成功したと言うのは難しいでしょうね。ただ、ビジネスマンがオープンソースってことを言い出したっていう意味では、やはりターニングポイントだったと思います。ひとつのプロダクトとして見ると、モジラっていうのは必ずしも成功していないけど、マスコミとかプレスが"何か新しいことが起こっているぞ"っていう衝撃というか、ニュースバリューとしては大きいんじゃないですか」
清水「モジラの発表はいつだったんですか?」
風穴「'98年の1月ですね」
吉岡「自分のホームページ、1年ぐらい前のホームページをいま改めて読んでいるんですよ。そうすると、自分で言うのも小渕さんみたいな感じなんだけど、これが面白いんだな」
TOSA日記 *1
本誌編集部「モジラのころの吉岡さんのホームページって、もう4日おきぐらいに日記がアップデートされてるんですよね。何か言わずにはいられないっていうか(笑)」
吉岡「実は、今日は何を話そうかなと思って、日記とか日経ソフトウエアの自分のページをまためくってみたんです。そうしたら、1年前と言ってることはあんまり変んねえな、進歩ないぞ、みたいな(笑)」
本誌編集部「今年は日記が全然アップデートされないんですけど」
吉岡「それは1つには、やっぱり電話代が掛かっちゃうとダメですね。瑣末なことですけど」
本誌編集部「わかりますよ。ボクが米国で友だちの家に泊めてもらうとき、メールチェックさせてって言うと、みんな“いいよ”って言ってくれるし、こっちのほうも気兼ねなく頼める。だって市内通話はタダでしょ、ボクはUSのIBMネットだから接続料もタダでしょ、誰にも負担がかからないんですよ。日本だと、ネットにつなぐときも、電話代の10円置いちゃおうかななんて、考えちゃいますよね(笑)」
吉岡「本当にそうですよね」
本誌編集部「吉岡さんがモジラをダウンロードするの、1時間半ぐらい掛かったんでしたっけ?」
吉岡「2時間近く掛かりましたよね」
本誌編集部「米国ではそれが全部タダなのに、日本ではダウンロードの電話代と、あと従量制のプロバイダーだったら、それだけで1000円とか2000円とか掛かってしまう。でも、いくらフリーだって言っても、ダウンロードに1000円とか掛かるようなら、誰も落とさないですよ。そこらへんで、やっぱり日本でオープンソースが米国ほど盛り上がらないのは、こういった壁がありますよね」
*1 編集部注:TOSAは“Tokyo Open Source Association”の略……というのは嘘で、“Total ship Open Systems Architecture”の略。吉岡氏やその日記とはまったく無関係だが、語呂合わせで使った。吉岡さん、ごめんなさい。TOSAは、米海軍との産業界とが協力し、OSAの技術を導入して、船舶のコストを大幅に下げようというプロジェクト。CALSの類と考えて間違いはない。
今年後半から年末にかけての、Linuxまわりの動きに注目!
風穴「日本って、Windowsなんかで言うと開発ツールは売れるんですよ。秋葉原で、マイクロソフトの開発ツールが、コンシューマーに売れるんですよ。Visual Basicとか、Visual Cとかの、しかもプロフェッショナル版が。日本だとバージョンが2つ並んでいると、高い方しか売れない。それなのに、プログラマーがいないと言われてる(笑)。みんな、VB買って何してるんだと」本誌編集部「1年間でどれくらい売れるんでしょうね」
風穴「セット数はちょっとわかんないですけど、人口比としてはモノすごい数が売れる。しかも秋葉原とかの店頭で売れる数がすごくて、だから日本のショップでは、プロフェッショナル版から店頭に出すんですよ。7万8000円くらいするんですけどね。でも、日本人はプログラムできないって言われちゃう。
Windhole 風穴 江氏。Linux がブームになる以前から、Linux を追い続けていたという正真正銘のLinux ウォッチャー |
もっと言っちゃえば、創造的なことをする素地がないみたいな話になっちゃいますけどね。受験勉強も忙しいし」
本誌編集部「受験勉強、忙しいですね。大学でも創造的なことしてないですし」
ちなみに、日刊アスキーLinux編集部では、Linuxコミュニティーではそこそこ知られた受験生に、アルバイトとして働いてもらっている。編集部の仕事に引きずり込まれて受験勉強ができないため、万年受験生になってしまうのでは……と心配する向きもある。アスキーでは、受験生のまま、あるいは、留年生のまま、居着いてしまった編集部員が少なくない。
風穴「あとはさっき言ったみたいに、日本では働いている人の余暇の時間が少ないというかというかね、通勤に取られたりして、家に帰ってからの時間が圧倒的に少ない」
吉岡「通勤に2時間近くかけて(笑)。日々、実感しますよ。私の人生のほとんどは通勤時間だ、みたいな感じで(笑)」
ちなみに、アスキーの中には、会社から歩いて5分のところにねぐら用マンションを確保して、本宅には週に1、2度しか帰らない編集部もある。ゆとりの生活と言えないこともない……。言えないか。
本誌編集部「吉岡さんがシリコンバレーにいたときは、吉岡さんの家から橋を1つ渡れば、もうオラクルが見えましたからね。これだけ近ければ、さあ家に帰ってからプログラムをやろうっていう気にもなりますよ。さて、なんかオチがついていないんですけど、そろそろ話を適当にまとめたいんですが」
風穴「ここ半年とか、年末にかけては面白いんじゃないですかね、
いろいろな動きがあるし。これからLinuxがどうなっていくかっていうのも見えてくるんじゃないかな。ひとつにはまず、米国でRed
Hatが株式公開して、Red Hatに対抗する企業も“うちも株式公開しなきゃ”みたいなのも出てくるでしょう。あと、Red
Hatも含めてですが日本法人をどうするかっていう問題が、まさにいまホットですよね」
吉岡「日本法人、どうなるんですかね」
風穴「それはね、すごいもめてるんですよ」
本誌編集部「五橋とRed Hatの関係っていうのはどうなんですか?」
風穴「難しいところなんですよね。やるやると言いながら、なかなか。Red
Hatとしては、独自の支社を持ちたいんですよ、日本支社を。米国側にしてみれば、もっと売り上げがいくはずだとか主張してますし。最終的にどういうところに決着するのかわかんないけど。昔から、米国で成功した企業が日本法人を作ってうまくいくかというと、そういうわけでもないんで。必ず日本法人作るときに、だいたいゴタゴタするっていうのは昔からの必然ですよね。まあ、ここ1~2週間で、いろいろ見えてくると思いますよ」
本誌編集部「今回は、お忙しいところ、ありがとうございました」
(終わり)
【お詫び】
本対談の掲載にあたり、一部の用語と人名につきまして、表記の確認を取らずに記事を掲載いたしました。以上におきまして、関係者および読者の皆様にご迷惑をお掛けしたことをお詫びし、訂正させていただきます(ascii24編集部)。
【関連記事】【夏季特別企画 Linux対談 Vol.1】「冷奴が食べたいだけの関与者も、大豆をまくところから始めなければならないのか」
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【関連記事】【夏季特別企画 Linux対談 Vol.2】日本のプログラマーよ、立上がれ!
Linuxコミュニティーに小(さ)村井(むらい)、出でよ!
http://www.ascii.co.jp/ascii24/call.cgi?file=issue/1999/0810/topi05.html