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ネットビジネス新流儀 第6回

より良いサービスを作るために、会社作り、チーム作りから始めた

GREE

2008年08月18日 12時00分更新

文● 根岸智幸(ずばぴたテック) 写真●小林 伸

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月刊アスキー 2007年11月号掲載記事

GREEトップ画面

GREEは開始当初からコミュニティやレビュー機能や出身学校登録機能など、さまざま切り口で人を繋げる仕組みを持っているのが大きな特徴である。

 SNSのビジネスモデルが明確になってきた。その顕著な例が2004年の2月にいちはやくサービスを開始したGREEだ。サービス当初1カ月で1万人を集めてブームの走りとなったが、その後会員数でミクシィに水を開けられてしまった。しかし、2006年11月にauの公式SNS「EZ GREE」としてサービスを開始してからは、EZ GREEの会員数が100万人を突破。2007年8月には全体で200万人を超え、存在感を増している。

趣味の個人サイトから成長のための組織作りへ

 GREEはもともと創業社長の田中氏が趣味で始めたサイトだった。学生時代からインターネットベンチャーに憧れ、ソニーコミュニケーションネットワーク(現ソネットエンタテインメント)から楽天に転職した。そこでブログサービスの「楽天広場」など、CGM的なサービスを次々と作った。PHPを勉強しながらプログラミングを行い、ユーザーサポートもやった。

グリー 田中氏

グリー株式会社 代表取締役社長 田中良和氏

 2003年秋ごろに、米国で初の本格的なSNS「Friendster」が人気を集めたことを知って興味を持つ。「実名で登録して、友達と一緒に使うというのがIMやメールと似ていると思いました。ただ、一部の人が利用するサービスだとも思っていました」。

 田中氏はあくまで趣味として、GREEを1人で作った。2004年2月にオープンし、1カ月後には会員数は1万人を突破したが「そんなものかな」と思っていたという。その後しばらくは、会社員をしながら、夜11時に帰宅し、毎日100通以上の問い合わせメールに対応していた。規模は急速に拡大し、個人で数百万円を投資することになったが「趣味なので」気にはならなかったという。しかし「田中さんが死んでしまったら、どうなるんですか?」というメールをきっかけに法人化を検討することになる。

 会社を作るにあたって、細かなビジネスプランはなかった。広告やアフィリエイトの収入で「一人ならなんとかなる」と考えたからだ。しかし「良いサービスを作っていくためには一人では無理」だと気がつき仲間を募り、2004年12月にグリー株式会社を作る。このあとしばらくは地道な会社の体制作りに力を注いでいく。

 「広告を入れるにはメディアレップを経由して売るんだけど、ちゃんとした法人じゃないと取り扱ってくれない。カスタマーサポートの人が必要なんだけど採用の方法も知らなかった」。同時期に始まったミクシィが急速に成長するのを見ても「もともときちんとした会社だからできるのだ」と考えた。「作りたいサービスはいろいろあったけど、まずは会社作りをやった」。

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