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スマホメーカー栄枯盛衰~山根博士の携帯大辞典 第12回

iPhone 7へ至るまでにAppleに立ちふさがった数多くの壁

2016年09月27日 13時00分更新

文● 山根康宏 編集●ゆうこば

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 スマートフォンの代名詞でもあり、携帯電話業界のパワーバランスをすべてを書き換えてしまったAppleの「iPhone」。果たしてiPhoneの登場前、人類は携帯電話で何をしていたのだろうかと思えるほど、iPhoneはモバイルデバイスの使い方を大きく変えました。

 しかし、iPhoneは急に世の中に出てきた製品ではないのです。iPhoneの誕生までのAppleの動き、そして、いまの地位を得るまでの躍進の流れを振り返って見てみましょう。

世界を1日で変えた、iPhoneの発表

 2007年1月9日、サンフランシスコで開催されたMacworld 2007で故スティーブ・ジョブズCEOがiPhone(初代)を発表しました。iPhoneの本体デザインは当時、ほかのどのメーカーが出していたスマートフォンよりもスタイリッシュで美しく、3.5型のタッチディスプレーを指先で操作するというUIは大きな衝撃を与えました。

 当時のタッチパネルは圧力を感知する感圧式が主力であり、タッチパネルの操作にはスタイラスペンを必要としていたのです。それに対して、iPhoneは静電気を感知する静電方式のタッチパネルを採用。指先を軽く触れるだけで操作が可能なUIは、iPhoneが最初の製品だったのです。

 しかも、iPhoneの優れていた点は操作性だけではありませんでした。まずiPod機能を搭載しており、音楽ライブラリを手軽に持ち運べるスマートフォンだったのです。また、ブラウザーはSafariを搭載し、PCと同じインターネット環境を手の平の中で可能としました。

 2007年当時のスマートフォン業界は、ノキアのSymbianスマートフォンが市場の過半数を占めており、ビジネスユーザーがBlackBerryやWindows Mobileを利用、そしてザウルスなどLinuxもまだ強く、それぞれが10%前後のシェアを持っていました。

 それらのスマートフォンでは音楽の利用はiPhoneのように手軽とはいかず、ブラウザーも動作が遅かったり画面が狭いなど、快適とは言えない状況でした。また、日本ではiモードが全盛であり、「携帯電話専用インターネット」の世界が独自に進化しており、携帯電話から利用するのはiモードサイト、という時代だったのです。

 ジョブズ氏が自ら開発したスマートフォン、すなわちiPhoneが提供した世界はPCと変わらぬシームレスなインターネット環境であり、しかも美しく、快適に操作できるUIでした。海外ではiモードに対抗して携帯電話向けに「WAP(Wireless Application Protocol)」も展開されていましたが、利用できるサービスは少なく、操作性も悪かったのです。

スマートフォンの概念を変えた初代iPhone

 一方、いまでは当たり前のアプリの利用は初代iPhoneではできませんでした。しかし、初代iPhoneの魅力は「iPod」「インターネットアクセス」という2つのキラーアプリだけで十分だったのです。

 ウェブサービス側もiPhoneで利用しやすいようにiPhone向けの画面を用意するようになり、アメリカではiPhoneがあればPCと変わらぬシームレスなインターネット環境を手の平の上で利用できるようになていきました。

 初代iPhoneはまず、アメリカのAT&Tから独占販売されました。通信方式は2G(GSM)のみに対応。ヨーロッパやアジアと比較して当時のアメリカの通信環境の整備は遅れており、GSM回線でのウェブ利用は満足できるものではなかったことでしょう。

 アメリカはWi-Fi環境が進んでいたこと、またiPhone向けに最適化したウェブページが増えたこと、そしてなによりもiPhoneそのものの操作性が快適だったことから、通信速度の遅さはギリギリ許容できるものでした。

 翌2008年に発売された2世代目のiPhoneである「iPhone 3G」はようやく3Gに対応します。また、販売国も拡大され、日本を含むアジアやヨーロッパなどでもiPhoneを購入することが可能になりました。

 ところが、iPhoneが各国で発売されると、利用できるキャリアのネットワークの弱さが表面化します。真のモバイルインターネットデバイスであるiPhoneの利用者は、ほかのスマートフォンユーザーよりも大量のデータ通信を利用します。

 その結果、3Gが普及している国でもiPhoneを使うと回線の遅さやキャパシティー不足が目立つようになったのです。「iPhoneを快適に使いたい」というユーザーの声は、結果として各国の通信キャリアのインフラ投資を加速させました。

 さて、このiPhone 3Gの登場と共に、アップルはアプリケーションストア「AppStore」を開始します。手の平に乗るスモールコンピューターの上で、開発者は自由にアプリを提供・販売することが可能になったのです。

 また、ウェブサービス提供側はブラウザーを必要とせず、アプリだけで簡単に自社サービスを提供できるようになりました。そして、ユーザー側も、自分の好みのサービスやゲームなどを簡単にダウンロードして利用できるようになったのです。

 AppStoreの登場で、iPhoneの人気は早くも不動のものとなります。2009年1月にはダウンロード数約5億本を越え、半年後の2009年7月には約15億本に達しました。

 AppStoreはビジネス的にも成功し、多くのデベロッパーがiPhone向けアプリの開発へ殺到します。ビジネスが成功した理由のひとつはユーザーアカウント登録時にクレジットカードを登録していたことであり、ユーザーはアプリを購入する際に毎回毎回カード情報を入力する必要がありませんでした。

 これに対して、Symbianなどほかのスマートフォンではアプリは都度購入であり、しかも魅力あるアプリがほとんど存在していなかったのです。

iPhone 3Gはヨーロッパやアジアにも販路を拡大。各国で熱狂的な人気を集める

 アップルはまたiPhone 3Gの発売と共に、初期のビジネスモデルを放棄することにしました。それは通信キャリアとのレベニューシェアです。

 初代iPhoneでは、AT&Tから毎月1台あたり5ドルがアップルに支払われました。つまり、アップルは端末を売るだけではなく、通信キャリアからも毎月収入を得る課金モデルを導入したのです。

 しかし、端末の販売方法やビジネスは国ごとに大きく異なります。アップルが始めたレベニューシェアは端末メーカーの新たな収益源として注目を集めましたが、アメリカ以外への導入は事実上困難でした。

 いまやiPhone本体の売り上げだけで大きな収益を上げているアップルも、当初は端末販売以外からの収益を模索していたのでした。しかし、結果としてレベニューシェアを取りやめたことにより、iPhoneの導入は世界各国の通信キャリアにとって容易なものとなったのです。

 とはいえ、アップルは「1国1キャリア」という販売方針でiPhoneを各国に投入、新規参入国ではiPhoneの導入を巡りキャリア間での争奪合戦が繰り広げられました。

2年に1度のフルモデルチェンジ
着々とモデルを増やし不動の人気を築き上げる

 2009年6月には「iPhone 3GS」が登場します。前年は3G対応と本体デザインの変更というフルモデルチェンジでしたが、iPhone 3GSはCPUやメモリ、カメラスペックの引き上げと言うマイナーチェンジモデル。

 しかし、iPhoneは各国で2年契約での販売が基本となったため、毎年のフルモデルチェンジではなく2年おきのフルモデルチェンジは既存ユーザーにとって買い替えしやすいというメリットがあります。その後、「iPhone 4」「iPhone 5」「iPhone 6」と大きなモデルチェンジは2年おきとなりました。

 2010年発表のiPhone 4は、さまざまな話題と問題を振りまいた製品となりました。まず、本体は背面側もガラス仕上げのよりスタイリッシュなデザインとなりましたが、ブラックとホワイトの2色が発表されたものの、ホワイトモデルは発売が大幅に遅れました。

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