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懐かしいけど古くない! 「日産ヘリテージコレクション」で見た名車の血統

2019年07月30日 12時00分更新

文● 栗原祥光 撮影●栗原祥光

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戦前の「ダットサン」に驚き!
日産リーフの始祖や上皇さまの愛車も展示

 展示されているすべての車両をご紹介したいのですが、それは紙幅がいくらあっても足りませんので(ウェブですが)、主要なものをご紹介しましょう。

 日産が生まれたのは、今から100年以上前の1911年のこと。当時は日産という名前ではなく「快進社自働車工場」が純国産車の開発に成功します。その車の名はダット1号車。DATとは快進社に出資した3名の頭文字をとったもの。その後、ダットの息子たちという意味からDATSON(ダットサン)という名が誕生します。でも「SON」では損という印象を与えるということから、SUN(太陽)として、「DATSUN」になったとか。

初期のダットサンロゴ。今の日産ロゴに通じるものがあります

 残念ながらそのダット1号車は展示されておらず、ヘリテージコレクションの中で最古の車両は、1933年製造の「ダットサン12型フェートン」。フェートンとは、折りたたみ式の幌を持つ4人乗りのオープンカーのことで、戦前からこんなオシャレが国産車があったことが驚きです。ちなみに搭載するエンジンは748ccの直4で出力は12馬力で、車体重量は500kg。

日産ヘリテージコレクションに現存する中でもっとも古い「ダットサン12型フェートン」。実にオシャレな1台です

 日本で初めて横浜に量産型の自動車工場を創業したのも日産です。その当時、自動車は家よりも高かったそうですが、それでも年1万台の生産能力を有していたというから驚き。その当時の車もあり、中には当時の消防車も。次第に日本にモータリゼーションが根付いてきたことを感じさせます

当時の住宅数軒分! という値段だったにも関わらず、年1万台の生産を可能にしたという

ダットサンの消防車。金のレリーフ模様がオシャレです

 こうして初期の日産のクルマ達の中で、1台異質な車両が目に止まります。深刻な石油不足に見舞われていた終戦直後、逆に供給余剰気味だった電力の活用法として1947年に誕生した「たま」です。日産リーフのご先祖様ともいえるたまは、航続距離96km、最高速度35km/hと当時トップの性能で、1951(昭和26)年頃までタクシーなどで重宝されました。このたまを作ったのは「東京電気自動車」。後の「プリンス自動車工業」で、その後日産に吸収合併されました。

タクシーとして使われたというたま電気自動車。ちなみに回生ブレーキがないため、減速をするとモーターに負荷がかかり、かなり発熱するとのこと

 その「たま」の5年後、1952年に1500cc直4エンジンを搭載したガソリン車が登場します。その名はプリンス。当時の皇太子明仁親王が同年に立太子礼と執り行なう年にあやかり名付けられたこの1台は、後日、皇太子殿下の目に止まり、そのスペックの高さからマイカーになったという、冗談のような本当の話も。社名もプリンス自動車へと変わりました。

初代プリンス。風格のあるデザインです

ボンネットにはトビウオのエレメントが備えられていました

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