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日本の性教育は時代遅れ、ユネスコは小学生に性交のリスク教育推奨

2018年02月12日 06時00分更新

文● 末吉陽子(ダイヤモンド・オンライン

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現在、日本の性教育は、教育課程の家庭科や保健科といった授業で実施されている。しかし、欧米などの教育先進国をはじめ、アジア諸国と比較しても、その内容は乏しいと指摘されがちだ。人が生きていくうえで避けては通れない「性」にまつわる教養。タブー視される向きもある中、公教育はどこまで担うべきか、専門家に聞く。(フリーライター 末吉陽子)

長年、教育現場を悩ませた
「性教育はどこまで行うべきか?」

日本の性教育は遅れていると言われるが、公教育でどこまで担うべきなのか――

「人間は成長過程で性を自然に理解し、習得すべきもの」――そう考える人は少なくないだろう。性は極めてプライベートな感性を刺激し、神秘的であり、エロティシズムと切り離せないテーマでもある。それゆえに、習得の手段として、義務教育で学ぶ「英・数・理・社・国」といった教科と同列に教えることは難しい。

 しかし、それでも公教育で科学的な見地に基づいて学ぶ必要があると訴えるのは、日本の性教育の変遷に詳しい埼玉大学教育学部の田代美江子教授である。

「日本の性教育のはじまりは、敗戦直後から国が主導してきた『純潔教育』に遡ります。『子女の教育指導によって正しい男女間の交際の指導・性道徳の昂揚をはかる為措置を講ずること』『正しい文化活動を助成して青年男女の健全な思想を涵養するために措置を講ずること』を目的に、風俗対策や治安対策の一環としてスタートしました」

「1972年には日本性教育協会が設立され、純潔教育から、性行為に関する諸問題を科学的に解明しようとする学問(性科学)を主軸にする性教育へと転換。以来、諸外国の性教育情報なども取り入れながら、少しずつ進展してきました」

02年の「性教育バッシング」事件で
日本の性教育は大きく後退した

 1992年の学習指導要領改訂の際、折しもエイズが社会問題化。その流れで、HIV教育の重要さがフォーカスされるようになり、それに伴って小学校6年の理科で扱う人体の学習が3年生に前倒しされ、5年生に『人の発生と成長』が位置づけられた頃から、性教育に発展の兆しが見られるようになったという。

 しかし皮肉なことに、この学習指導要領改訂が、性教育の歩みを後退させる引き金になり、2000年代に全国規模で巻き起こった性教育バッシングへと続いていく。

「たとえばそれまで、思春期の成長は『男子=声変わり』だったところが、『精通』と定義されるようになりました。これにより射精を教えないといけない、ではどこまで掘り下げるかということで、教師たちの間では大騒ぎになりました。現場で試行錯誤を進める中、02年に東京都日野市の七生養護学校(当時)の性教育バッシングが起きます」

「知的障害の子どもが性被害を受けても気づかなかった、などの事態を受けて、からだや性についての正確な理解が必要との考えから、男性器と女性器の名称を織り込んだ歌や、性器のついている人形を使うなど独自の性教育に取り組んでいました。先進的な取り組みから校長会等でも高く評価されていましたが、東京都議員が『行きすぎた性教育』と問題にし、教材は没収され教師が処分される事態になったのです」

 同校教員や保護者、関係者は「性教育を行うことができなくなった」ことなどについて、人権侵害を訴えて提訴。13年に結審した裁判では、都議側の敗訴が確定している。しかし、この事件によって教育現場で広まりを見せつつあった性教育は、急速に自粛の一途をたどることになった。

「日本の性教育は、身体の発達や性感染症といった内容に限られますが、保健体育、中でも保健に位置づいています。しかし、座学にあたる保健については、『雨降り教科』という扱いです。教員育成を担う教育学部においても、体育は勉強するけど保健について十分に学んでいるとは思えません。そのため、教員も性教育の重要性に意識が及ばないというのが現実です」

ユネスコのガイダンスでは
性教育は「5歳から」

 性教育衰退による犠牲を被るのは、他でもない子どもたちである。

「性を知ることは、自分自身を肯定的に理解することであり、それは、自分の身を守るための知識を得ることにもなります。そもそも大人たちが体系的な性教育を受けていないので、『小学生には早い』『中学生に避妊なんて教えてどうするんだ』という価値観を持っていて、これがストッパーになってしまうのです。しかし、グローバルスタンダードの指標として、ユネスコが出している『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』を例に出すならば、性教育の開始は5歳から設定しています。ちなみに、ヨーロッパの性教育スタンダードでは0歳からです」

 ユネスコのガイダンスにはこのほか、小学生に「コンドームなしの性交のリスク」について教える必要性について書かれていたり、中学生レベルになると、コンドームの正しい使用方法を学ぶことが大切だと記載されていたりする。コンドームという言葉さえ出てこない日本の性教育とは掛け離れた、踏み込んだ内容だ。

 日本の性教育では学習指導要領の「歯止め規定」により、小中高校いずれも性交については教えていない。また、肝心の性交渉や性病についてはスルーされているのが実情だという。

 かたや、厚生労働省の「感染症発生動向調査」によると、16年単年の報告数だけみても、20歳未満の性器クラミジア感染症は約2200人、淋菌感染症は約500人、性器ヘルペスウイルス感染症は約300人に上る。これを若さと個人の無知による不幸と片づけるのか、性教育をないがしろにしてきた大人の責任と捉えるべきなのか。

 子どもたちの将来を考えれば、教育者や大人が担う責任が少なからずあることは明らかである。

性教育に反対する人たちが
理由を明確に話せないのはなぜか

「小学校の頃から、性は恥ずかしいことでもエロいことでもなく、生きることと切り離せない大切なことだと学ぶことが『ポジティブな性教育』ではないでしょうか。私は、現在足立区の中学校で先生方と協力して性教育の授業づくりをしているのですが、最初ニヤニヤしていた生徒も、科学的な根拠に基づいて真面目に教えることで、表情が真剣になっていく様子を目の当たりにしました。性にまつわるさまざまなことを、はぐらかさずに正面から教えようとする教師への信頼が高まるということも感じました」

 “性をいやらしいと考えている大人”や、“性と真正面から向き合わない大人”は、極めて個人的な感覚に端を発するタブー意識を拠りどころに、性を捉えているのではないか。田代教授はある政治家の印象的な国会答弁に言及する。

 05年、自民党の山谷えり子議員が、大阪府吹田市の公立小学校で使用していた、男女の性器の名称を書いて受精のしくみを図解した性教育の副読本を問題視し、小泉純一郎首相(当時)に問うたところ、「これはちょっとひどいですね。(中略)性教育は我々の年代では教えてもらったことはありませんが、知らないうちに自然に一通りのことを覚えちゃうんですね」と答弁した一件だ。

「首相の答弁の後、国会は下ネタを笑うような“陰湿な笑い”に包まれます。しかし、戦前戦後世代の大人は性教育を受けていないこともあり、ある意味仕方のないことなのかもしれません。ただ、性教育のグローバルスタンダードは、人権を基盤に、ジェンダー平等と多様性を前提とする方向にあり、そしてそれは日本よりはるか先を行っています。こうした動向については政治家や教育者であれば、しっかりと理解しておくべき事柄ではないでしょうか」

科学的な側面から
性教育をすべき

 もちろん、科学的な側面から性教育を教えたからといって、全てのリスクを回避できるわけではない。しかし、正確な知識を学ぶことは、性に関わる欲求や行動コントロールする力を養うことにつながるはずだ。

「自分の存在を科学的に知ることが、ひいては自分の存在の科学的な“見事さ”のようなものを実感することになります。そうした実感を得られれば、道徳などで徳目を強調しなくても、産んでくれた人や、育ててくれた人に対する感謝に自然と結びつくことになるのです。現場で子どもたちと接するほど、科学的な学びは人権とつながっているのだと確信を得ることができます」

 進まない日本の性教育ではあるが、田代教授によると「1982年4月に発足した『一般社団法人“人間と性”教育研究協議会』に集まる研究者や教員たちによる性教育への取り組みの成果は、確実に蓄積されています」とのこと。このように、有志たちによる地道な研究の存在を知れば、前途は暗いばかりではないとも思う。

 性を学ぶことは自分の身体と心を見つめるきっかけであり、それは将来にわたって自分らしく、健康で幸せな生き方を考えるうえで欠かせないはずだ。自分を守り、より有益な選択肢を広げるベースとなる知識を教えることこそ、公教育が担うべき役割ではないだろうか。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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