誰もが異なるニーズを抱えており、ソーシャル界はそれに応じてシフトしている。
「次なるビッグニュース」は日増しに規模が小さいものになっていくようだ。
我々のソーシャルメディア体験というものは、各メディアのトップ画面に表示される単一のニュースフィードに集約されており、全てがそこで管理されている。過剰なニュース・ストリームから吐き出される肥大化したコンテンツによって、我々は既に飽和状態だ。愛する友人や家族、好きなページ、フォローしているアカウント、付き合いのある同僚、どこで知り合ったかも覚えていないような知人などが浴びせかけてくる投稿やお知らせに、もはや付いて行くことさえできずにいる。我々は自分たちのフィードをすっきりさせ、管理をしやするするために大掃除をしたいという衝動的な欲求を感じている。
一方で、我々のインターネット利用はデスクトップやノートPCから離れつつある。ソーシャルメディアをとりまく状況は、プラットフォームとユーザー行動の両面で、劇的な変化に直面している。スマートフォンのハードウェアは成熟期を迎えた。ワイヤレス・データ・ネットワークも進化を遂げた。デザインは今やモバイルファーストが主流だ。しかしコンテンツの過飽和とコミュニケーションの質の低下は依然として問題になっている。こうした問題によって、新たな時代精神が生み出されることとなった。「モバイル種族」とでもいうべきものだ。
我々は人との相互作用を切望している。これは、お互いに繋がっていたい、意思を伝えあいたいという人間としての基本的な欲求だ。ソーシャルメディアとしての根底は変わらないが、構成メンバーは各種族の特色によって個別のグループ、活動、文化、イデオロギーに分類される傾向にある。共通の興味や嗜好、人口統計、市場からなる亜母集団が結成されるのだ。しかしそうした種族内においても、各人が誰と繋がってコミュニケーションを取るかという個人的な選択は自由意志に任されている。そこでモバイルの出番となるわけだ。
メガ・プラットフォームの時代は終わった
ポストPC時代では、我々はコンテンツの検索や閲覧をほとんど携帯電話で行うようになっている。
ソーシャルメディアの第一世代は「ネットワーキング」を売り物にしていたが、常時接続が当たり前の環境で育った次の世代には、むしろ儚いデジタル種族主義が受け入れられている。こうしたユーザーたちはメジャーなソーシャルネットワークを放棄し、もっとシンプルなエコシステムを持つ、細分化された各モバイル種族へと散って行った。彼らは Instagram で親しい友人のみをフォローし、Pinterest で少数のフォロワーをピン留めし、WhatsApp や Snapchat でガールフレンドや同級生とチャットし、Foursquare で同僚のチェックインをフォローする。今後、さらに新たなプラットフォームやアプリも現れることだろう。
全てのプラットフォームはソーシャル化されるだろう。だが、それぞれのユーザーベースは単純な数ではなく、生活の質に基づいて判断されることになる。いくら数が大きくても、小さな関わり合いほどには重要視されないのだ。メディアやコンテンツは今ほど断片化や一元化されたものではなくなり、もっと自然な、特定のアプリやモバイル種族に向けてブランディングされたものになっていくだろう。
ソーシャルネットワーク界の大型チェーン店である Facebook でさえも、コンテンツの過飽和に関する問題と、細分化に向かうトレンドやモバイル種族について認識している。同社の CEO マーク・ザッカーバーグは、Facebook はモバイル製品(同社のアクティブユーザーの大半が利用しており、広告費も一番稼げる場所)の開発に注力しており、それを「青いアプリ」とは切り離すと述べている。
「私はモバイルのことを考えているが、人々は違う物を求めている」とザッカーバーグはニューヨーク・タイムズに語っている。「アクセスの容易さは非常に重要だ。ユーザーが、どんな物に対する通知を受け取るかをコントロールできるということも重要だ。画面の表示エリアは非常に小さい。モバイルでは、専用のファーストクラス体験を作り出すことに大きな価値があるのだ」
ソーシャルのプロダクトやサービス、デバイスを提供しているブランドや企業、スタートアップなどは、将来的にアプリ専用の種族に向けて商品を構築していく必要があるだろう。各企業は、スマートフォンに慣れ親しんでお気に入りのアプリを使いこなしているエンドユーザーの立場になって考えなくてはならない。これらの新しいプラットフォームは、もっぱらアプリしか使わないような、モバイルネイティブなユーザー達に利用されていくことになるだろう。コミュニティのために注意深くキュレーションされ、しっかりと管理されており、同時に生産性とレスポンシブを追及するために合理化されたプラットフォームが求められる。各企業は自分たちの種族に属することになるユーザーのことを良く知り、敬意を払わなければならない。
とにかく現在のインターネット上では、ユーザーが目にする物が多すぎるのだ。ネット上で接触する人の数も Instagram にアップされる食べ物の数も過剰で、我々にはそれらすべてに割く時間などないのである。
編集部注:本記事は、ニューヨークを拠点とするジャーナリスト兼広告戦略家、マシュー・ブライアン・ベック氏によって執筆されました。
※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら。