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『新装版 計算機屋かく戦えり』の著者に聞く Part.1

『新装版 計算機屋かく戦えり』の著者に聞く Part.1

2005年11月16日 04時26分更新

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著者の遠藤 諭
[――] 新装版『計算機屋かく戦えり』は、その岡崎文次さんはじめ日本のコンピューターを作った人たちにインタビューしたものなのですよね?
[遠藤] 『月刊アスキー』の創刊15周年特別企画ということで“スペシャルインタビュー”という連載をやったのですね。ほかにも案はあったのですが、ずっとFUJICのことが気になっていたので岡崎文次さんを訪ねようということになったのです。というのも、政府の研究機関や大学で作られたものではない関係からか、日本のコンピューターの歴史の資料でもサラリとしか触れられないことが多かったのですよ。これは、「ちょっと悔しいじゃないか」と。岡崎さんをきっかけに、日本のコンピューターを作った人たちをテーマにすることにしたのです。
[――] 岡崎さん以外には?
[遠藤] 創刊200号記念の1995年6月号で“電卓以前標準計算器――“タイガー計算器”について”までの約2年間に、いろいろな方々にお会いすることができました。
 
  • “日本独自のコンピューター素子を生んだ男……後藤英一
  • “シャノン以前にコンピューターの基礎理論を発信した日本人……榛澤正男
  • “黎明期最大規模のコンピューター開発プロジェクト……村田健郎
  • “電卓の元祖を生み出した四兄弟……樫尾幸雄
  • “世界初のマイクロプロセッサー<4004>を作った男……嶋 正利
など。どの方も強烈な印象があるのですが、まったく独自の論理素子である“パラメトロン”については、是非とも知っていただきたいです。
パラメトロンコンピュータ『MUSASINO-1』 電気通信研究所で1957年に完成したパラメトロンコンピュータの『MUSASINO-1』(“NTT技術資料館”所蔵)
[――] パラメトロンというのは?
[遠藤] コンピューターの進化というのは、実は、ちょっとラジオとか通信機の進化に似ているのですよね。まず糸電話みたいな物理的なものがあって、鉱石ラジオが出てきたり、モールス信号の送受信機が出てきた。そして真空管ラジオが出てきたところで、一気にメディアとして発展する。コンピューターも、機械式からリレー式(電磁石を使って回路をオン/オフする)、そして真空管式が出てきたところで、人間業ではないスピードで計算するから“凄い”ということになった。その後は、トランジスターが来て、ICとなるわけです。ところが、世界中で日本でだけ“パラメトロン式コンピューター”という時代があった。
[――] 日本だけコンピューターの発展の歴史が違っていると。
[遠藤] 1954年に、後藤英一さんが“パラメトロン”という素子を発明するんです。この時、後藤さんはまだ大学院生。これがいかにもそのころの日本風というのか、スピードは遅いんだけど、とにかく安くて安定している素子だったんです。当時、真空管が1本で1000円、トランジスターにいたっては数千円もした。ところが、パラメトロンを作るのに2個使うフェライトコアは1個5円しかしない。これで、大学の研究室でもコンピューターを作ることができるようになったのですよ。
日本独自の論理素子パラメトロンを組み込んだMUSASINO-1の回路
日本独自の論理素子パラメトロンを組み込んだMUSASINO-1の回路(“NTT技術資料館”所蔵)
[――] それでもリレーとは違って電子的なわけですね。
[遠藤] 1950年代末から1960年代の初めにかけて、日本ではパラメトロン式コンピューターとトランジスター式コンピューターの両方が作られています。沖電気、日本電気、日立製作所、富士通といったところが、パラメトロン式コンピューターを、日本電気、日立製作所、北辰電機、松下電器産業がトランジスター式コンピューターをやっている。面白いのは、日本電気と日立製作所は、両方やっているんです。余談になりますが、日本電気は『NEAC 1101』とか1桁目が“1”のマシンはパラメトロン式、『2201』とかとか1桁目が“2”のマシンはトランジスター式、日立は『HIPAC 101』とかの“P”がパラメトロン式の意味、『HITAC 102』とかの“T”はトランジスター式の意味だったのですよ。
[――] HITAC 10とか、その後のマシンは、集積回路ですよね。
[遠藤] そうなんです(笑)。いずれにしろ、1950年代のコンピューターというのは、先行して資料の公開されたマシンを参考にして作ったものが多かった。FUJICが誕生する1956年までに、まさに世界中でコンピューターが作られているんですが、ほとんどが、英国や米国のマシンのレプリカであったり、アーキテクチャーを参考にしたマシンであったりするわけです。米国のプリンストン高等研究所の『ISA計算機』の資料が公開されたことで、ソ連(当時)でもそれを参考にしたコンピューターが作られている。米国は、水爆でソ連に先を越されたのに追いつくべくISA計算機の開発を急いでいたはずなのに、ですよ。これは、私には分からない。そんな中、FUJICも独自性の高いマシンだったし、パラメトロン式コンピューターは素子自体が独自のものだった。パラメトロンは日本のコンピューター開発において“寄り道”だったという人もいるらしいですが、私はそうでないと信じています。
(Part.2へ続く)

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