弁護士・海老澤美幸さん/35歳で一念発起。法科大学院で実感した「学び直し」の苦労と優位性

文●児玉澄子 撮影/伊東武志

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 人生100年時代といわれる昨今、自分らしい働き方や暮らし方を模索する女性たちが増えている。そんな女性たちに役立つ情報を発信するムック『brand new ME! ブランニューミー 40代・50代から選ぶ新しい生き方BOOK vol.1』(KADOKAWA刊)から抜粋してお届けするインタビューシリーズ。今回は、総務省やファッション誌での仕事を経て弁護士になった海老澤美幸さんにお話を伺った。

「弁護士を目指すモチベーションの一つに、ファッション関係者と法律の敷居を下げたいという思いがありました」と語る海老澤さん。

ファッションと法律の間に立ちはだかる壁を超えたい

 法律に関する無数の本が書架を埋める法律事務所。その重厚な雰囲気が、出迎えてくれた海老澤さんのふわっとした笑顔でたちまち和らいだ。

「わかります(笑)。弁護士を訪ねるってちょっと身構えてしまいますよね。私もかつてはそうでした」

 海老澤さんは法律事務所に所属しつつ、ファッション関係者のための法律相談窓口「fashionlaw.tokyo」を主宰。新たな法分野である「ファッションロー」の概念を普及させる拠点として法律相談から講演、執筆、ウェブマガジンの運営などさまざまな活動を行っている。

「ファッション業界には、特有とも言えるさまざまな法律問題が数多く潜んでいます。たとえば雑誌用に撮影した写真のポスターやデジタルへの二次利用、あるいはデザインの模倣、労働環境、ハラスメントなどなど──そうした、いわば悪しき慣習で泣き寝入りする人も少なくない。業界では『昔からそれが当たり前』とされており、弁護士に相談するという発想もなかなかありませんでした。それ以前に日本にはファッションに詳しい弁護士が少なかったんです。だったら『自分がなってしまえば話が早いんじゃない?』と考えたのが、法曹界に飛び込んだ始まりでした」

総務省からスタートし、ファッション誌編集部へ

 大学の法律学科で学んだ海老澤さんだが、当時は司法試験を受けるという発想はなかったという。

「私が大学生の頃はいわゆる旧司法試験の時代。ごくわずかな人しか合格できない非常に難関な試験で、私も参考書を開いたとたんに『あ、無理だ』と諦めました(笑)。ちなみに現在は司法試験の制度がだいぶ変わり、合格率も2022年には45%を超えているようです」

 そもそもファッションが大好きだったという海老澤さんは、大学時代はアパレルショップのアルバイトに夢中に。「気づいたら民間の就職活動が終わっていたんです」という理由から、駆け込みで国家公務員Ⅰ種試験を受け、自治省(現・総務省)に入省する。

「最初に赴任した岐阜県は昔から繊維産業が盛んな土地です。ところが安価な輸入品などの影響で、かつて駅前に並んでいたという繊維問屋さんもシャッター街に。その光景を見てふつふつとファッションへの思いが甦ってきたんです」

 思い立ったら即行動とばかりに自治省を1年半で退職。中途採用で宝島社に入社し、ファッション誌の編集部員となる。

「当時は雑誌にとても勢いがある時代。撮影が深夜まで及ぶなどとても忙しかったのですが、とにかく楽しかったですね。毎日が女子校の文化祭の前日のようでした」

 ファッションの仕事にのめり込み、28歳でスタイリングを学ぶためにロンドンに留学。帰国後はフリーランスのファッションエディターとして『エル・ジャポン』や『ハーパーズ・バザー』、『ギンザ』、『カーサ・ブルータス』などのファッション誌や広告媒体で活躍する。一方で時代は徐々に紙媒体からデジタルメディアへと移行していた。

「フリーで活動するようになって数年が経った頃から、雑誌用に撮影した写真のデジタルメディアへの二次利用が頻繁に行われるようになりました。それまでも同様にポスターや車内広告などへの二次使用が行われており、著作権などが発生しないスタイリストやヘアメイクには二次使用料が支払われないこともありました。そもそもファッション業界は慣習的に口約束で仕事が決まることが多く、トラブルに巻き込まれてもなかなか声を上げられません。ファッションクリエイターの間ではこうしたさまざまな課題を『改善すべきでは』という議論が起こり始めていました」

 ファッション業界には海老澤さん同様、フリーランスで働くクリエイターが多い。組織に守られない弱い立場だ。そうしたクリエイターたちが安心して仕事できなければ、大好きなファッション業界が疲弊してしまう──。

「ファッション業界に潜む問題を紐解くと、その多くが法律に行き着くことがわかりました。ただファッション業界は独特すぎて、業界を理解していないと四角四面の法律だけでは問題は解決できない。そのときに思い出したんです。『そう言えば私、法律学科を出たんだっけ』って」

 35歳で一念発起。一人暮らしの家を整理して実家に戻り、弁護士を目指す学び直しが始まった。

社会人としてのバッググラウンドは弁護士を目指して勉強をするうえでアドバンテージになった。大人の学び直しには苦労もあるが、経験を積んだからこその優位性もある。

法科大学院で実感大人の学び直しの苦労と優位性

 弁護士になるには、①法科大学院(ロースクール)で2年または3年学び(あるいは予備試験に合格し)、②司法試験に合格し、③1年間の司法修習を受けるというステップを踏む必要がある。法科大学院に見事合格した海老澤さんだったが、同級生の多くは大学を卒業したばかりの若者たちだった。

「同級生との差は歴然でしたね(苦笑)。こちらは集中力も記憶力も低下していますし、そもそもノートの取り方すら忘れてしまっていて。でもありがたいことに同級生たちがみんないい人ばかりで、いろいろと助けてくれたんですよ。私は1回、司法試験に落ちているんですが、そのときも同級生たちが熱心に勉強を教えてくれたんです」

 大人になってから仕事や利害関係のまったく絡まない、純粋な“同級生”ができるのはとても貴重なこと。苦しかった試験勉強を海老澤さんはそう振り返る。

「吸収力では同級生たちにはとても及びませんでしたが、ただ一つアドバンテージだったかなと思うのが社会人と してのバッググラウンドがあったこと。法律の条文は理解できても、それがリアルに起きている問題にどのように繋がってくるか、社会に出る前にはなかなかわからないと思うんですよ。私の場合はファッション業界の課題意識があったので、『なるほど、この条文はあの問題に機能するのね』と具体的にイメージすることで暗記力の低下を補えたところがありました。社会経験を経て弁護士を目指す方なら、どんな業界でもこのアドバンテージがあると思いますよ」

業界のより良い未来のために40代からのキャリアの考え方

 41歳で晴れて弁護士登録。翌年にはファッション関係者のための法律相談窓口となる「fashionlaw.tokyo」をオープンする。

「もともと弁護士になるモチベーションの一つに、ファッション関係者と法律の敷居を下げたいという思いがありました。弁護士に相談するのは決して大げさなことではなく、本当にちょっとした心配やお困りごとでも利用できるのが健全なあり方だと思うんです。fashionlaw.tokyoという名称は「○○法律事務所」では引いてしまう業界の方でも気軽にアクセスしてもらいたいと思い付けました」

 現在は弁護士のほかにも、高島屋の社外取締役を務めるなど多忙な日々を送る海老澤さん。今年は経済産業省が公開した日本初の「ファッションローガイドブック2023~ファッションビジネスの未来を切り拓く新・基礎知識」の策定にも携わった。さらに「最近はなかなかお引き受けできないんですが」と言いつつも、ファッションエディターとしての活動も継続している。ふんわりした口調や佇まいとは裏腹になんともエネルギッシュだが、その源にあるのはファッション業界へのこよなき愛と希望だ。

「デジタル技術の発展やグローバル化により、ファッションを取り巻く環境は大きく変化しており、デザイナーやクリエイターが活躍できる場も広がっていると感じます。AIやサステナビリティといった新たな課題に立ち向かい、ビジネスを展開するためには、法律を避けて通ることはできません。日本のファッション業界が盛り上がるためにも、ファッションローの概念がもっと普及するよう尽力したいですね。これは年齢もあるのかな。20~30代はとにかく自分のキャリアに邁進していましたが、40代になって『自分が渡せるものはすべて次世代に渡したい』という思いが強くなりました」

Profile:海老澤美幸

えびさわ・みゆき/三村小松法律事務所、fashionlaw.tokyo主宰、(株)高島屋社外取締役。 1975年、北海道生まれ。自治省(現・総務省)、(株)宝島社を経て独立。『エル・ジャポン』『GINZA』などのファッション誌や広告のスタイリング・ディレクションを手がける。2017年に弁護士登録し、ファッションローを専門に活動。文化服装学院非常勤講師をはじめとするファッション業界の後進育成や執筆の一方で、ファッションエディターとしても活動中。fashionlaw.tokyo ホームページ https://fashionlaw.tokyo/

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