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IT資産管理から始まった国産ソフトメーカーの軌跡と戦略

宮崎社長が語る あのときのエムオーテックス、次のエムオーテックス

2023年04月11日 09時00分更新

文● 大谷イビサ 編集●ASCII 写真●曽根田元

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「LANSCOPE」のブランドで、IT資産管理やアンチウイルス、業務の自動化などを実現するソフトウェア製品を揃えるエムオーテックス。KCCS(京セラコミュニケーションシステム)のセキュリティ事業を統合した同社を率いる宮崎 吉朗 代表取締役社長に、自身やエムオーテックスのプロフィールを振り返りつつ、次の展開を聞いた。(インタビュアー ASCII編集部 大谷イビサ)

エムオーテックス 代表取締役社長 宮崎 吉朗氏

入社したときはよくも悪くも「LanScope屋」だった

大谷:まずは宮崎さんのビジネスプロフィールを教えてください。

宮崎:新卒で日本IBMに就職して、10年以上に渡って名古屋を拠点に営業をやっていました。おもに流通・小売業のお客さまの基幹システムのリプレースを担当していました。お客さまといっても他社の基幹システムをひっくり返しに行くわけですから、「なにしに来たんだ~」とはよく言われましたね。

大谷:営業とはいえ、なかなかタフな仕事ですね。

宮崎:でも、IBMの看板のすごいのは、担当者も会ってはくれるんですよね。会ってからいろいろ言われることは多いのですが(笑)。

その後、IBM時代の上司からお誘いいただいて西日本の営業責任者としてエムオーテックスに入社しています。

大谷:宮崎さん自身の興味はどうだったんですか? 日本IBMって歴史は古いですが、外資系企業ですし、基幹システムからセキュリティというフィールドの違いもありますよね。同じIT業界とは言え、畑としてはけっこう違うのかなと。

宮崎:当時、IBMもSIerからソフトウェア会社にシフトしていた時期。エムオーテックスはまさにそのソフトウェアの開発と販売を手がけてました。保守だけでも売上がかなり積めていたし、利益率も高かったのでビジネスとして興味がありました。

日本IBMのときも、直接販売だけでなく、パートナーとの連携が多かったので、間接販売がメインだったエムオーテックスには違和感なくなじめた気がします。当時の高橋社長もIBM時代からチャネル畑が長く、人脈もすごかったので、半年くらいはその人脈を拡げながら、営業活動してきた感じです。

大谷:直接販売と間接販売だと営業のやることもけっこう違いますよね。

宮崎:SIのときは人間関係の構築と現場に行ってお客さまの業務をひたすら学ぶという活動でした。でも、間接販売の場合は、販売店の利益に貢献するのがメイン。販売店が持っていないソリューションを持っていき、競合との差別化をきちんとアピールしていくことが重要です。その点、エムオーテックスでは販売店のみなさまにどれだけLanScope Catを持っていってもらうかを日々考えていましたね。

大谷:入社した当時のエムオーテックスはどんな感じだったんですか?

宮崎:簡単に言えば、LanScope屋です。売上の99%がLanScope Catだったので、LanScope Catを売るために会社があるという感じ。だから、パートナーといっしょにどんどん売上を伸ばしていきました。

大谷:どんどん売っていったという時期なんですね。

宮崎:逆に言えば、それがアキレス腱になっていたのも事実。私が入社したのは、ちょうど踊り場みたいな時期でした。崩れる様子はなかったですが、LanScope Catしかなかったんです。

ご存じの通り、LanScope Catって2005年の個人情報保護法の施行で一気に伸びたのですが、私が入社した2011年頃には、資産管理ソフトの市場拡大も一段落したところでした。営業活動も緩やかになり、プロダクトアウトで勝手に売れていた時代から、パートナー関係を強化して売りにいかなければならない時代に差し掛かっていました。自分としては、こういった部分のてこ入れもあって、入社したんだと思っています。

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