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フジテレビプロデューサー赤池洋文が紡ぐ!読むだけで美味しいラーメン「物語」 第5回

紆余曲折を経て辿り着いた渾身のガッツリ系ラーメン 自家製麺 No.11(東京・大山)

2020年03月18日 17時00分更新

文● 赤池洋文 編集●ラーメンWalker

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 私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。

 お店がこれまで紡いできた「物語」。

 そして、私が勝手にお店と紡いでいる「物語」。

 後者の「物語」はだいぶ偏りまくっておりますが、どうかよろしくお願いします。

 2013年9月8日。この日私は、とある友人の結婚式に参列していました。その友人からは「友人代表のスピーチ」を依頼されてました。彼と出会ったのは確か2005年。お互いの仕事も生活環境も全く違うけど、我々はある1つの共通項によって意気投合しました。その共通項は「ラーメン」。そう、その友人とは、今回書かせてもらう「自家製麺 No.11」の店主、木村政美君です。一体なぜ、私は友人代表のスピーチをするまでに彼と親しい関係になったのか? 今回はこれまで以上に私的な話で恐縮ですが、私と政美君が紡いできた「物語」を紹介させて頂きます――

「自家製麺 No.11」店主・木村政美さん

 木村政美君は、ちょっぴりワルい学生時代を過ごした後、当時よく通っていた「ラーメン〇二郎」(現「ラーメン富士丸」)で働くこととなり、2002年に初の支店となる「ラーメン〇二郎 板橋南町店」の店長となります。私がそんな彼のお店に訪れたのはそれから約3年後。当時遅ればせながら突如「ラーメン二郎」に開眼し、あっという間に二郎全店舗を巡り、さらに二郎関連店や、いわゆる「インスパイア系」という呼ばれるお店もしらみ潰しに行き倒してました。あの頃はまだ二十代半ば。若かったなー(笑)。

 「〇二郎」は通称「マルジ」と呼ばれ、元々直系の二郎だったという過去を持ちつつも、似て非なるオリジナルの味を完全に確立していました。大盛りの麺と野菜。デッカイ豚。こってりスープ。全体の大枠としては二郎を踏襲しているものの、スープは香味野菜とみりんの甘さを強く感じるもので、麺は低加水で硬くてゴワゴワ。野菜はクタクタに煮込まれており、アブラは味のついたもの。私は「二郎とは全く別物で、これはこれで物凄く旨い!」と、ドハマりしたのでした。

 この味は今、政美君が「自家製麺 No.11」で作っているラーメンにもしっかり引き継がれています。

 こうして、2005年に私は、政美君と政美君の作るラーメンと、運麺的な出会いを果たします。政美君は今でもイケメンですが、当時は若かったこともあり本当にカッコよかった。茶髪でイケイケな感じもガンガン出ていました。その対極をなすルックスの私の第一印象は「ケッ、スカしてんな!」でした。性格が歪んでいて申し訳ありません(笑)。そんな味とは違ったベクトルの、嫉妬という名のハードルを目一杯上げた状態で食べた政美君のラーメン。一口食べた瞬間に衝撃が走りました!

 「旨い!めちゃめちゃ旨い!何だコレ?旨すぎる!!」

 一瞬でイケメンとか嫉妬とか吹き飛びました。それほどまでに政美君が作るラーメンは旨かったのです。しかも、彼の接客の様子を見ていると、常に明るく元気に振る舞うのはもちろんのこと、お客さんに対しても丁寧に礼儀正しく接しており、もう好感しか持てませんでした。

 こうして私は、政美君の作るラーメンと人間性、その2つに惚れ込み、お店に通い詰めるようになりました。そして少しずつ彼と話せるようになり、彼が私の2つ下だと知りました。「年下でこんな旨いラーメンを作れるなんて!」と、もう尊敬の念しかありませんでした。また、政美君も自分の周りに私のような仕事をしている知り合いがいなかったこともあり、お互いの仕事について話をするうちに意気投合! 私はお店の閉店間際にお邪魔して、ラーメンを食べて、そのあと彼と語り合うという日々を重ねました。ほぼ毎週、お台場から板橋南町まで、夜な夜な東京横断していました(笑)。

 我々が蜜月の時を過ごしていたのはちょうど二十代半ばから三十くらい。お互い一番熱く、そして尖っていた時期です。今思い返せば赤面モノの夢を語り、全く実力も伴ってないクセに、随分と生意気な口を叩いてました。私の当時の企画なんてそりゃヒドイもんでした。そして、政美君の作るラーメンも、もちろん旨かったのですが、今にして思えば、その旨さのブレが激しかったのです。

 例えば、スープの表面にものすごく液体の油が浮いてしまう時がまれにあったのですが、当時の政美君は「どうして液体油が出るのか分からないんですね。まぁ、すくい出せば問題ないですから」と言い、私も「そうだね」と一緒に笑ってました。まさにお手本のような「若気の至り」でしたね。

 そして、蜜月の時は突然終わりを迎えることに。2013年のGW直前、政美君は「富士丸」(途中から店名が「〇二郎」から「富士丸」に変更)を辞めました。それに伴い、板橋南町店は閉店。以前から彼が辞めたいと思っていたのは知ってましたが、あまりに突然のことに驚いたことを、今でも忘れません。

 かねてから「いつかは独立して一本立ちしたい」と言っていた政美君でしたが、何一つ具体的な準備をしてなかったので、自分の店を出せるわけでもなく、結局某ラーメンチェーン店で働き出しました。ちょうどそれから間もなくして、冒頭の結婚式が行われました。当時の彼はチェーン店で働く生活に満足しているようだったので、「また彼のパンチの効いたラーメンを食べたい」という気持ちを押し殺して、彼の門出を祝福しました。

 それから数年の時を経て、2018年、政美君は再び富士丸に戻ってきました。彼はプライドを一切捨てて、再び富士丸で一からラーメン作りを学び直すことを決意しました。出戻ることにきっと葛藤もあったことでしょうが、彼が再びあのラーメンを作ろうと決意してくれたことが嬉しかったです。

 政美君は再修業を終えて、西新井大師店の店長を務めることになりました。すぐさま伺い、実に5年ぶりとなる彼のラーメンを食べました。

 旨い。

 本当に旨い。

 板橋南町店時代、いわゆる「良い方にブレた時」の旨かったあの味。それをはるかに凌駕する一杯でした。感動のあまり目からラードが出そうになるのを抑えて、「旨すぎるんだけど、どうしちゃったの?」と精一杯の軽口を叩きました。すると……

 「ようやく俺、ちゃんとラーメン作れるようになりましたよ」

 と、政美君は笑ってました。そして、

 「もちろん、この味をいつでもちゃんと出せるようになりましたから。もう液体油は浮きませんよ」

 と。言いやがったな、コノヤロー(笑)。

 そこには、ラーメン職人として腕を向上させただけでなく、人間として大きく成長した男の姿がありました。

 そして2019年7月11日。彼は念願の自分のお店「自家製麺 No.11」をオープン。材料も一から自分で仕入れて、全て自分で作るということで、昔の彼を知る身としては一抹の不安がなくはなかったのですが、全くの杞憂に終わりました。

2019年7月11日にオープンした、自家製麺 No11

ラーメン

 国産豚を10時間煮込んだスープは旨味たっぷりで超濃厚。麺もゴワっとしながらもみずみずしさがあり、食べ手を選びません。そして豚。どうやら相変わらず計算は苦手なようで、原価が心配になるような特大な豚がデフォルトで入ってきます。これまで政美君が培ってきたラーメンの技術の全てを注入した彼らしい一杯が、一切ブレることなく提供されています(笑)。

 女性や子供には「ちょっと無理かな」と敬遠されそうですが、心配ご無用。食べたい量を伝えれば、優しく対応してくれます。丸椅子のカウンターのみではありますが、それで問題なければ子供が来るのもウエルカム(政美君自身も新米パパですから!)というスタンス。

 さらに、これは板橋南町時代から変わってませんが、味以外のもう一つの大きな魅力が、彼の人柄。常に明るく元気で、笑顔の絶えないナイスガイ。お店は連日行列が絶えませんが、それはラーメンの味だけではなく、このお店の雰囲気を求めてきている客が多数いるからに違いありません。

 こうして、紆余曲折を経た木村政美君。彼が作るラーメンは、今まさに最高の時期を迎えていると言えます。友人としてこんなに嬉しいことはありません。翻って自分はどうかというと、あの頃から何も成長していないので焦るばかりですが、彼の爪の垢を煎じて飲むつもりで、これからも彼のラーメンを食べに行こうと思います!

 是非あなたにも「自家製麺No.11」のラーメンを、あなたなりの「物語」を紡ぎながら食べて頂きたいです。

赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)

2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。

百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/

本人Twitter @ekiaka

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