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ソフトベンダーTAKERU 30周年 レトロPC/ゲームを振り返る

『TAKERU』はSteamの始祖!? “同人ソフト”の天国だった

2016年11月15日 11時00分更新

文● 宮里圭介

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PCエンジンから追い始めた日本の文化としてのゲーム

人物紹介

NPO法人ゲーム保存協会
理事長
ルドン ジョゼフ

フランス生まれ。幼い頃より80年代の日本のゲームの歴史に魅了され、その貴重な文化財を護り継ぐ取り組みを行なっている。

TAKERU30周年イベントにジョゼフさんも登壇予定!(詳しくはこちら)

PCエンジンを追いかけ、偶然秋葉原で「TAKERU」と出会った

 フランス出身でありながら日本で「NPO法人ゲーム保存協会」を設立し、理事長を務めるほどゲームへの愛情が強いルドン・ジョゼフ氏。初めて日本に来たのは1992年の16歳のころで、その時は当時遊んでいたPCエンジンのゲームを探しに来たという。

「どこへ行けばゲームが売っているのかよく知らないまま東京を歩き回り、たまたま秋葉原にたどり着きました。しかしもう夜に近く、多くのお店は閉まっていて……その日はあきらめて帰ってしまいました。そして翌日また行こうとしたのですが、当時、まだ地名もよく知らなくて、前日たどり着いた町がどこなのかもわかっていませんでした。東京の中心近くでにぎやかだといえば「銀座あたりだろう」と見当をつけたのですが、当然ながら秋葉原は見つからないわけです。そこで、さらに翌日は朝早く出て、今度は2日前と同じ道をたどりながら、ようやくお店の開いている秋葉原にたどりつけました。お昼くらいだったでしょうか」

現在の秋葉原は当時とだいぶ雰囲気が変わってしまったが、面影が少し残る秋葉原のガード下。この写真は2005年前後のものだが、ラジオセンターや秋葉原ラジオストアーは当時からあった。

 当時、秋葉原へ行けば大きなゲームショップが多数あるということを知らず、町中の小さなゲームショップを巡りながらフラフラと歩いていたら偶然たどり着いたという。2日後、道を思い出しながら秋葉原へ行くため3時間くらい歩いたという行動力からも、当時からゲーム熱が高かったことがうかがえる。

「そこで初めて秋葉原という町の名前を覚えて、たくさんのゲームショップに入りました。まず驚いたのが、PCエンジンの中古ソフトというものがあったことです。フランスでは新品と中古の区別がなく、ほとんど金額も変わりませんでしたし、1本500フランくらい(約1万円)するのが普通でした。それが、日本では中古で100円とかで売ってるわけです。本当に100円なのか疑いながらもレジへ行くと、本当に100円で買えてしまったんです」

 そのときの驚きは相当なものだっただろう。日本へ来る前は10本くらい欲しいゲームが手に入るといいなと考えていたそうだが、結局、150本ほどゲームを購入して帰国したというのだから、どれだけ興奮したのか想像に難くない。

 もちろんPCエンジンのゲームが目的だったとはいえ、秋葉原を歩きながら家電店をのぞき、「日本の洗濯機って上から入れるんだ!」などとフランスとの違いを新鮮な目で見て回っていたそうだ。

「ある店の2階へとエスカレーターで上がってみたところ、目の前にあったのが「TAKERU」でした。もちろん使い方はわかりませんし、これが何なのかもよくわからなかったのですが、たしか英語で「Vending Machine」などと書いてあったので、「日本のゲームは自動販売機で買えるんだ」と驚いた記憶があります」

 またそのフロアではPCを販売していたので、それまで見ることがなかった日本のPC(PC-98や88など)と出会えたほか、多数のゲームを手に取り、そのパッケージやゲーム画面の美しさに感動したという。しかし、それと同時に悲しかったそうだ。

「せっかく日本のPCゲームに出会えたのですが、これを見るのは最初で最後じゃないかと思ったら悲しくなってしまったんですよね」

日本ファルコムを代表する作品として挙げられるのが、ソーサリアンを含む『ドラゴンスレイヤー』シリーズや『イース』シリーズ、そして『英雄伝説』シリーズだ。ゲームの内容はもちろん、パッケージやマニュアルなども美しかった。(C) Nihon Falcom Corporation. All rights reserved.

 その後、フランスでゲームの保存活動やコレクションを始めたが、日本には自分の知らない大きなPCゲームの世界があるという思いは、ずっと心に残ったままだった。これがすべてではないが、2000年の日本への移住、そしてゲーム保存協会を設立するきっかけのひとつになったのは間違いない。

もしかしたら『Steam』と肩を並べる存在になっていた!?

 80年代から90年代にかけての日本の同人文化はクリエイティブな方向にあり、ヨーロッパと少し違っているという。

「海外のPCゲームのプロテクトはものすごく固いものでした。そのプロテクトを破るため、クラッカーのサークルがあちこちにできて競争していたんですね。そしてクラックに成功してコピーできるようになると、自分たちの技術力の高さを自慢したくなるわけです。そこで、ゲームが始まる前に署名や映像、音楽などを「デモ」として追加するというのが流行りました」

 単純にコピーするのが目的ではなく、プロテクトを破る技術力を競うというのが、ある種の文化となっていたのだ。その後クラックとは関係なくデモの制作自体が目的となり、より高度な「メガデモ」となっていく。しかし、自分たちでゲームを作るといったことはほとんどなかったという。

アニメーションと音楽とで魅せるメガデモ。今でも動画サイトなどで視聴できるほか、TAKERUでもメガデモ集として売られていたという。

 これに対して日本では、コピープロテクトを破るにしてもデモのようなコンテンツを追加することなく、そのままコピーするのが主流だった。その代りではないが、個人、もしくはサークルでゲームなどのソフトを作る同人文化が活発だった。

 こういった、いわゆる「同人ソフト」はPCショップで販売されていたほか、「コミケ」や「パソケット」といった即売会などで売られていたが、それを購入できるのは現地に行ける人だけ。地方の人にとっては入手すら難しい状況だった。こういった状況を覆し、全国どこでも購入できるようにしてくれたのがTAKERUだ。

「90年代は同人ソフトを配布・販売するシステムがほとんどなく、おそらくTAKERUが世界初です。インターネットの普及もあって、90年代後半ともなればソフトの自動販売機としての将来性はなくなっていきますが、同人ソフトのディストリビューションとしては本当に残って欲しかったですね。もし残っていれば、『Steam』並みに大きな存在になれていたと思います。実際、ビジネスモデルとしては今のSteamとほとんど変わりませんし」

 TAKERUはソフトの購入ができるだけでなく、個人が同人ソフトを販売できたという点でも、同人文化の普及に一役買っていたといえるだろう。

単価が安く、手軽に買えて遊べる同人ソフトはTAKERUユーザーから支持された。簡単に自分がソフトを売る側になれるという点でも画期的だった。

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